集団( 抜きんでた人 劣っている人 )は高みを目指す。

 
 元ネタを思い出しました。教科書で習ったもので、例えは違いますが、デパートの宝飾品売り場でダイヤの指輪を買います。家に買って帰ると、売り場ほどの輝きがない。それは、売り場ではルビー、サファイア、エメラルド、トパーズなどのたくさんある中から選んでいて、そのたくさんの中のダイヤという関連で買ったからだとありました。売り場ではダイヤ単体ではないと。家のダイヤは孤立して関連性のない、売り場のダイヤというほかの宝石とのつながりの切れた宙に浮いたダイヤになってしまっている。


 人間も一人だけがいいのではなく、集団の中で切磋琢磨して成長していく。単体では無理であろう体験を集団の中でたくさん行える、という利点がある。一人の人の能力も、他の人との関連性の中で見るべきなのかもしれない。抜きんでた人というのは、他の人と比べて成り立っている。他にも大勢能力の高い人がいる。抜きんでた人はある部分の能力が他者と比べて高いという特性を持つ。比較の中で成り立っている。比較は他者がいるから行える。他者との関連の中での抜きんでている。

 抜きんでた人には、その分野で力を発揮してもらって、僕たちは違う分野か補完する形で能力を使えばいい。抜きんでた人をサポートするとか。抜きんでた人に助けてもらうとか。

 抜きんでた人には権威になるのではなく、周りと生かしあうために存在してもらう必要がある。集団は、抜きんでた人を含んで交流し力を補い合えばいい。




 抜きんでた人も周りの人も集団の目的のために存在している。その目的のために力を合わせ精進すればいい。補い合う集団は高みを目指す。



 劣っている人は、その人の力の範囲で貢献すればいい。集団の中で圧力を受けやすい。抜きんでた人をサポートしたり別の部分で力を蓄えればいい。立場の違う人がいるから集団は成り立っている。向いている向きは同じ方向を目指している。

 
 

 集団は階段を登っている。いろいろな力を集め前を向き進歩するために研鑽・けんさん する。集団集合は力の鬩・せめ ぎあいだ。成員は振り落とされないよう全力でぶつかっていかないといけない。