2019/04/02(Tue)
今日は昨日が調子が良かったからそれと比べるとかなり落ちる。
あまりテンポよくできないので、どうしたもんかと思っていて、「眼の前の一歩に全力」、で一番手前の作業に注力した。そしたら止まっていた手が動いた気がして、注意散漫も落ち着いた気がした。それしか脱出方法はないように思えた。
作業所には新しい人が2人入った。
樹とコミュニケーション カウンセリングに出かけた時のもの
昨日の、拒否的で、拒絶的で、孤立し、暴君で、力任せと感じた母は、身体の感覚を聞いてその感じから書いたものです。
僕は、その身体の母に対して名前を付けました。べてるの当事者研究(何かで聞いたことがあり、詳しくは何も知らない)を参考に、僕の妙(母の名前の仮称)さんと名付けました。
「僕の妙さん」といつも一緒にいて、これと当分付き合っていきたいです。50年近く僕の中で君臨してきたのだからそう簡単に抑圧は出てこないと想像されるからです。この抑圧は、今ははっきりと身体に意識されています。いままではぼんやりだった。
それでレッツ! 当事者研究1 を メルカリ で注文してみました。よろしくお願いします。
ずいぶん僕の問題も展開してきたなあ。
フォーカシングは、やっと本題に入りつつあるが、すぐには役立たないだろうと思える。抑圧は巨大すぎて、すぐ解決というわけにはいかないだろうから。徐々に間合いを詰めて行ければなあ、と思う。
今日は大事な展開が2つもあり、収穫だった。
作業所で着物の糸除去・解体・着物ほぐし(ここの作業所ではこう呼ぶ)をやっていて、今回のは、繊維が細くミシンで縫われたりしてやりづらい。
面倒なのだなあ。と思いながらやっていて、この一本の糸を切断していくのは同じだから、やりづらいも、簡単もそんなに区別はないのかな? と思った。一本ずつ糸を切断していって最終的に着物の解体は終わる。
☆ これは掃除にも言えるなあ。掃除は一歩ずつの積み重ねだ。面倒だと全部後回しにして汚い部屋を作っている僕は人生を知らないなあ。人生をなめている。一歩ずつやっていく、目の前の一歩に全力をかけるのが着物ほぐしであるわけで、それは掃除でも同じ。
眼の前の一歩に全力をかけて取り組めば、いつかは終わるし、目標に到達する。だから、眼の前の一歩をおろそかにしてきた、掃除をできない僕は、人生をなめている、人生を知らない、となる。人間は一つずつしか取り組めないから、一歩をおろそかにしたら何もできないことになる。同じことをくどくど書いた。
<終わり>LR