カウンセリング。

・ カウンセリングを受けました。先生はいつもよりは集中していないように思えました。たぶん個人的なものか、僕のブログ・女性の紙袋をぐちゃっとやっても知らん顔だった汚い手を使ったからかもしれないと、想像した。

 自分の中の男の部分を見てもらうということで、地下室の部屋へ降りていき診て頂きました。
 部屋の壁は防音室のように凸凹で絵の具に触るときのようなヌルっとした、精液かもしれませんが、感覚がありました。暗い部屋の中にランプスタンドが床にあって、持ち上げると母の顔が照らされました。ニコニコしていました。たぶん母と同じ屋根のもと暮らしていないので、影響を受けることがない安全なためと思われました。

 母は、新しい服を着ていくと、いい素材だねと吟味するように、違法じゃないかというような含みをもたせて聞きます。だから母のところへは新しい服を着ていかなかった。

 その母が僕は嫌で母の椅子を取り上げ、僕の作った椅子に座らせたいと考えた。母の僕の中での不動の特別な椅子から降りてもらい、僕の作った椅子に座りなおしてもらいたいという、趣向です。僕は自分の中の母に特別な敬意を払いすぎていると。ただの一人の女性に格下げしたいと。それは父のことも同じだ。それが僕の望みらしいことを今日のカウンセリングで気づきました。

 今日はカウンセリングに、新しいシャツ、新しいジャンパー、新しい帽子で出かけました。中綿べストは古かったが。

 僕は母に、スキーのジャンパーを買ってあげると出かけ落合い、買う段階になって水色のパーカーみたいのを買ってもらえないで、灰色になってしまったという、大学1年の時の思い出がある。これは悔しかった。強烈に否定された。残酷だった。買ってやると言われ、好きなのだと思ったら、押し付けられた。バカヤロー、糞婆あ。フザケルなよ。

 母の僕の中での位置が更新可能なのを知った。これらは今日取り上げようと思っていたのではなく、母の顔がランプで照らし出され、それとコミュニケーションを取っているうちに、そうなってしまっただけです。いつも地下室の部屋は意外で、考えているのとは違うことが取り上げられることが多い。


・ジェンドリン、フォーカシングは、取り組んだ人たちの体験談が最初に取り上げられている。この後、少し読んで大まかをイメージして本題に入るらしい。6つのなんとか言うやつ。カウンセリングの先生はやはり英語で読まれていた。僕はメルカリ日本語中古だが。


ヨシケイの晩飯うまかった。今日も作った。も、は4日前だが。だいぶヨシケイの飯づくりにも慣れてきた。レシピを読むのも小慣れたものだ。うそ。いつも突っかかりながら、そろりそろりと読み、時間をかけすぎて作っている。ヨシケイの調理済みのよりは、ヨシケイの自分で手作りしたものはよほど美味しい。きょうはなぜか満足した。


・ 今日は、1か月か、2か月ぶりに風呂に入りたい。いつもはシャワーか、洗面台ごまかし髪洗い。