追記あり  ::: 市民プールは素敵だ。(貧乏輩の僕には唯一の憩いの場だ / ハッピー気分になる)

追記::::



フォーカシング:ジェンドリン、福村出版 ::たぶん古典の名作::
 日本語版序文 という一番最初のを読んだ。僕はカウンセリングの先生・EMDR に治療していただいたとき、EMDRの時に、体の感覚を常にチェックすることで導かれた・治療された。だからカウンセリングと体の関係は大事らしいというのを薄々感じたが、このジェンドリン氏の、フェルトセンスは各人個性的で、文化的に異なる文化圏でも共通語のように(この言い方は正しいか? 僕の誤理解
かもしれない)すぐつかめるらしい。文化圏のもとでは個人はないように均一であるかのように思うのは間違いで、フェルトセンスのもとでは上に書いたように個性的である、と書かれているように僕は理解した。お前どこ読んでんの? とおもわれるかな? とボケてみた。?

 とにかく日本語序文の文章からして面白い、引き込まれる、この本は楽しいぞと予感される。匂いプンプン・楽しそうな。


 マリリン・ファーガソン 「フォーカシング: 変革の時代のための新しい技法」 
 これが、日本語版序文の次ぐに出ている。体の感覚に聞くと、無意識というかフェルトセンスは解決方法を知っているという。僕のカウンセリングの先生が地下室の場所に一緒に降りていき、そこで出てくるイメージを通して治療していく過程、前回ではマウンテンバイクに乗りたい、という僕の切なる 悲願・大袈裟か の願望の強さを知った。その地下室でマウンテンバイクを乗り回してみて、イメージでの乗り回す体験の強さ・大きさを思い知った。イメージでの体験がすごく大事だと。これは、英語だと外国の人と話すときのイメージ、映画を英語字幕で見るイメージ、英語の本を読むイメージなどへ広げられる。英語の体験をイメージでしておくから、その後の英語の勉強に目的意識・ スキルアップへの意欲が引き出されると思う。目標とする体験をイメージで繰り広げておいて、そこへ追いつくというか、向かっていく感覚は正しいように思える。

 この方の文章も、フォーカシングという本の重要さ、楽しさ、必要不可欠さを(如実に示している(嘘くさい表現・自己弁護))を強く示していると思う。




 水泳だけれど、平泳ぎに特化した本が欲しくて、段階を踏みながら上達していく本がいいと思った。僕は完成形を示されてそこへ辿り着け、身につけよ、というのは嫌いだ。そういう本で成功したことはない。ちょっと手の位置を直したり、足のキックを直したり、イメージを変えたり、そういう少しずつレベルアップしていく本が欲しい。それにかなった本。一冊一泳法というのも惹かれた。デパートはいらない。(あれもこれも一冊に詰め込んだ本) 1円・送料別では買えなかった。976円・送料込みくらいした。もちろん中古だぞ。

 プールの水に漬かるとワクワクする。楽しみが待っているぞと。

アマゾンでの、本のリンク・僕が頼んだ本のページ 水泳 平泳ぎ への ↓ がリンクです。

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・エロチックな足 足と靴の文化誌 ウィリアム・A・ロッシ 筑摩書房を、美術目録を送っていただいている本屋さんで見つけ、そこで買わないでアマゾンで買った。倍の値の開きがあった。でも、教えていただいたのは中古屋さんなので、こういう汚い手は今度から使わず、やはりいつものように、中古屋さんに在庫があったら買うようにしたいと思う。中古屋さんからエロは買っていないので、見栄があるのかなあ。そうかもしれない。足のエロス大好きさ。  。。。

 しかし、最近家計を見ると、持ち出し状態が続いているようなので、通帳を逐一見て、管理し、足が出ないよう、トントンにはまとめるようにしないといけない。貧乏に見合ったやり繰りをすることが求められている。主婦への誘い・いざない。主夫だっけ???? ???? ??????? ??????????  ??????????????


☆ フォーカシングは宝の山に思える。本文を読んでいないのに、ワクワク・ドキドキと期待は膨れに膨らんでいる。



 僕は今52歳にして男になろうとしている(作業所、交通機関、カウンセリング)。そして、女の部分も併せ持とうともくろんでいる(坂東玉三郎の踊りの真似、モンローのしぐさを盗もうとしている):家での作業。


::ここまで追記::






 父母のところへ行った。母は持って行った果物を食べなかった。親戚のおばさんが父が入院しているところに見舞いに行き僕に金をくれた(ポストに投げ込まれていた)。金は返すつもりだというと、そういうものをどうするかわからないといわれた。早々に母のところを出た。 フォーカシング、ジェンドリン、福村出版


 
 商業施設で金券に全額化けさせ送り返した。そのおばさんは信用していない。金で喜ぶ奴と思われたくないし。浮いた金など要らないぜ。全面対決する気持ちでいたい。それは、父は父の弟との金の問題が解決されていず、おばさんと弟は普段から行き来があるからだ。僕が金に緩いと思われたら、おばさんにつるんでいる弟にも見くびられる。その辺とぶつけていくので緩いところは見せたくなかった。親戚との関係は、ぶっ潰しでいいと思う。

 父は、音楽を少し聞いたが、すぐはずせと言われ外した。一応父母のところへ行ったので、無罪放免になった。





 僕の一週間で唯一の息抜きの自由時間プールへ出かけた。ウォーキング25メートルプール4往復弱、ビート板つかまり2往復・素手で平泳ぎまがい(形はできるが息継ぎができず、途中プールの底に足がついて立つ)2往復、ウォーキング3往復くらい。と初心者コースをこなした。全くの自由が利くので、全部自分裁量で楽しかった。サウナは、2分くらいしかいなかった。

 クロールの女性がいるが、クロールは美しい。格好いい。僕は平泳ぎまがいなのでカエル ゲコゲコ と泣きながら(鳴く)泳いだ。僕は格好悪いのしかできないぜ。あと、ウォーキングで体格のいい早歩きのおじさんに2回抜かれたけれど、尻を拭き拭き お尻ふきで後からついて回ったぜ。なんて格好いいぼくちゃまなんだぜ。

 昨日もやられそうだった時、並行して歩いて、そいつらが早足に切り替えて(たぶん突っかかるのをやめた判断だったと思うが)抜いた時も、僕は尻を拭き拭き後からついて行ったぜ。今日はぜ・ぜ・ぜ の日で特売日だぜよ。



 家でcdに合わせて声を張り上げたりするが、僕は紅白の時のミーシャのような歌い手ではないし、すごくないのを痛感する。若いときは声に伸びもあったろうし、勢いがあるのでそれなりに魅力はあったろうが。冷静に判断すると、天下を狙っていた若いときは、自惚れがすごかったろうし、いまは落ちたと思う。歌でできること、僕にとっての大事な行為は全部やり切って、歌でできることは目新しいことは歌にはなくなった。天下を狙っていたこと自体、僕はなんて頭が悪かったんだろうとおもうが、若かった馬鹿ボケだったろうし。


 プールは楽しかったなあ。福祉カフェによりコーヒーを飲み、福祉カフェの太鼓せんべいみたいなカボチャバージョンを買って帰ってきた。スーパーではこしあんのおはぎを一個買った。プールはいいなあ。(未練がましく繰り返す・しつこい)


 プールの疲れは肉体のもので、作業所で疲れたのと違う。一昨日作業所帰りにプールに寄ろうと思ったが、そんな気になれなかった。僕は作業所で疲れてしまう。今の僕にそういう余裕はない。