カウンセリング:イメージの中で自由に振舞った。トライアルバイク。制限を取っ払った。

 稲盛和夫先生の働き方、を読んでいます。4章今日一日を「一生懸命」に働く―継続は力なり、5章「完璧主義」で働く―いかにいい仕事をするか の部分部分を読んだ。

 すごく濃くて、大事で、影響される言葉がたくさんあった。生き方、も頼んでみた。(購入)



 カウンセリングに出かけました。先生に今日も治療していただきました。お世話になっています。

 今日は、姉・妹のブログ記事を読んでもらい、母に対する僕の側の男としての屈折をいつもの地下室へと降りていくなかで取り上げていただきたく頼みました。


 地下室へと降りていく階段は銀色で非常階段のようで、降りた先のドアも事務所のドアのようだった。部屋の中には便器が正面にあり、骸骨もあった。骸骨は頭部だけだった。

 地下室では、僕の母に対する男の部分を取り上げて頂きたいからで、そこの地下室で思い出されたのは、中学生の時、親戚の少年と父と僕3人で函館へと父の車で旅行に出かけた時の思い出。
 その親戚の子供は、食堂では一人で餃子を頼んだり、大沼の公園でもマウンテンバイクを借りて、階段をバイクでドンドンと勝手気ままに乗り回していた。その子が僕はうらやましかった。僕は父母に制限されていたので息苦しさを感じていたし。

 その骸骨の頭部、髑髏・どくろは僕の父母に対する乾いた感覚の象徴だと感じた。父母に制限されて軟禁のような状態だったし。その髑髏をなでたり頭の上にのせて被るみたいなことをしてみた。髑髏は嫌な象徴ではなくシンパシーを感じるようなものだった。その髑髏とともに先生の誘導のもと、マウンテンバイクに乗ることになった。この部分の髑髏とマウンテンバイクの話のつながり、この辺はよく覚えていない。とにかくマウンテンバイクに乗り、渓流の岩場を乗り回した。まえにYouTubeで乗っているクロスバイクの選手のように。髑髏と一緒にマウンテンバイクを楽しんだ。髑髏と一緒に何をしたいのか、と先生に聞かれてマウンテンバイクに乗ったのかもしれない。

 自由気ままにイメージの世界でマウンテンバイクをうまく乗り回し楽しかった。髑髏をケースに収めて地下室を後にした。このように、父母に制限されて何もできず、力もないというのは過去の僕の体験で、今の僕はできる範囲のことは何でもできる、制限されていると感じて諦めていた事をいろいろできる、ということをイメージの世界を駆使しても可能になるということを先生に教えていただいた。僕は福祉喫茶に入ったり、絵を見て回ったり、いろいろ最近はやるようになった。マウンテンバイクに乗りたいという欲求、トライアルバイクのことだけれど、やりたいということも今の僕なら叶えられる。イメージの世界でうまくできることをイメージしてやると、実際に制限の記憶を克服できるようになるのかもしれない。
 僕にとってはエキサイティングでクリエイティブな、拡張された体験だった。こうしてイメージを使うと、ダメだと諦めていたことに取り組みやすいと感じた。僕は普段の生活でも、制限されていた記憶を生きていて、狭い範囲をがんじがらめで生活していることに気づいた。父母の制限下の記憶をまだ使って生きていると。自分で自分を制限して引きずっている。

 とても有意義でありがたい体験だった。
 先生、ありがとうございました。