カウンセリング 2019/02/16 Sat

 暖房は熱が上がりすぎて切れたようだった。不凍液を足していただいた。寒い思いをしないでなおってよかった。


 カウンセリングをしていただきました。治療です。

 母とペニスという内容のものにしてもらった。母の50代の顔とペニスの、トランプのカードのようなイメージをかぶせてみたりして僕自身がどうかというのをやっていただいた。

 母は硬直化していて、それがそのまま僕にも当てはまるようだった。母が離婚せず父との生活をつづけたせいで、母自身が硬直化し女として生きることもなかった。その母の性を感じさせない母自身と、僕の男としての性を感じず中性のような宙ぶらりんは関係があると思う。この辺はまだ掘り下げられていないが、やっと本題の核に食いつきつつあると思う。

 母の離婚はいいことみたいに書いたけれど、母が父との生活を終わらせなかった恩恵もある。父が自分の身の回りのことをできない人なので、母がいなかったら悲惨だったと思う。
 そしてもちろん僕自身も、30代はものすごく調子が悪く、沈みに沈み込んでいたので、母が父と暮らしていなかったら僕はどうなっていたかわからない。路頭に迷うくらいの危なさはありえたと思う。大げさではなくて僕は不安定で、不利で、負けに負けていた。ものすごく調子は悪かった。


 それでも、母は父と離婚していたほうがすべては好転していたと思う。それが自然だったと思う。母は離婚しなかったので、今現在父を憎み嫌い、母が硬直化しすべてを拒んでいる。母は結婚に執着したので、母自身に執着し、柔軟という言葉を知らず、ガチガチに凝り固まってしまった。母は女性ではない。僕は男性ではない。父も男性ではない。こういう変な状態を作ったのは、結婚への執着だったと思う。もしくは自分の心と向き合わず世間へ合わせたか。自分をだましだまししているうちにミイラになってしまった。水も色気もなく朽ち枯れた。

 僕はこういうことになる父母の下で、幼稚園の時に、母に人のせいにしないでと言われたときに、母に食って掛かった時に自分を殺した。母の性と、父の性、僕の性、健全ではない。臭いものには蓋をしろ、とばかりに性はないがしろにされた。この家族の中核は執着だ。一番人生で遠ざけるべきもの、執着というべきもの、がんのような病気を崇(あが)める家庭だった。人生を知らない紙人形の集まりだった。僕らは、さも正しい顔をして、人生のその時その時の情熱を知らないで、偽の生活を人生と嘯(うそぶ)いた。



 ・最後のほうに書いたのは今日の僕の思い付きだけれど、この考えの流れをカウンセリングで作っていただいた。先生の洞察と流れを作っていただいたその力強さに支えられています。ありがとうございます。

坂本のneo geo カセットからのダビング音源のYouTubeを聞きながら打ち込みました。おせわになっています。