雑記:11/2(Fri) / 練習の練習。

11/2 Fri


・ 織りが終わりました。最後の2枚はやり直しが多く、デザイン的にあまり良くなかったと感じた。今日はタオルを持っていき、端を結んで処理した右側のふくらみに対抗するべく、左側にタオルを巻いて、両方膨らませて織りこんでいくラインを平行にしようと作戦を立てた。うまくいった。あと、ボスが織りあがりを見てミスなしと判断されるとスタッフの反応が良くなるが、もしミスがあったら皆そっぽを向くと思う。
 調子が悪い時期と重なり、ちょっと苦しく、思うようにならなかった。でも、今日の調子は持ち直して、何とか作業が成立した。ありがたかった。

・ スーパーにレジでミスがあり、サービスカウンターで全部打ち直してもらった。対応したレジ打ちの人は不誠実だった。ワンストップの考えがなく、たらいまわしっぽい対応を受けた。顔もあまりぱっとしない人だと感じた。

・ 明日はカウンセリング対面を受けに行きます。

・ 昨日は父の病院に行った。父は苦しそうだった。風邪を引いていた。水曜に行った時は酸素マスクをしていてちょっとギョッとした。昨日は父のレントゲンをベッドに寝ながらにして撮れるので行っていた。僕は遠くにいくようにいわれた。X線の問題らしかった。

・ 今朝の夢は、最後には捕まり電気ショックを受けさせられる夢だった。嫌な夢だったと思って目が覚めたら、両腕が痺れて、そのせいで電気ショックの夢だったかと納得した。

・ 作業所では若い女性が気になり、母を抱きたいと言う、本当か嘘かの自分との気持ちと向き合わなければならなくなった羽目に陥った。僕は何かから逃げていて、それが母を抱きたいなのかとめどを立てている。僕は何から逃げてきたのか。逃げ続けてきた過去がある。それは母なのは確かだ。その気持ちはどうなんだ。母を自分の女にしたかったのではないのか。

 

・ 今日は作業所での僕は割と調子が良かった。普通に過ごせた。ただ、皿洗い係りの人が休みで(僕は週1に降板した)、皿洗い、ゴミ集め、トイレ掃除、掃除機かけと雑用が立て込んでしまった。午後はそれでほぼ終わった。主婦的な作業だった。house husband もできそう。

 今日も面白おかしく一日を過ごせた。実際は少し苦しかったが。雑用では汗が出て、額から滴り落ちた。健康な汗だなあと感じた。
 

 本は読んでいない。不調時には交通機関で読む気にならない。
 最近、女性の身体が好きだとか、女性が好きだとか、ストレートに思えるようになった。この辺は健康的になりつつある。牧歌的とか言ってみたいが、意味を分かって使っていないので怪しい。素直に女が欲しいと言える。






 一週間くらい前、部屋の散らかっているのを見て、あとでやろうと考える壁をつくるやり方はまずいと思った。

 僕は、あとでやるというのは、その時やるのは面倒だ・後回しにしよう、と言う考え方からだった。これは、自分でこれは無理とか後でとか壁をつくっていると思った。

 この壁づくりが僕のすべてだと思った。そこから、他の人の壁も見えてきた。僕に対して咳をするのは、その人自身の僕を見る目がその人自身にとっての僕であるから・自己否定しているなと思った。その人の僕と言う部分を否定している。自己疎外と、自己の硬直化の表れだなと。



 作業所で、5センチやり直して、最後の5枚目に進んだ。緯糸・よこいと は、一往復織って右側で切っているので、右側が膨らんだ。左がだんだんたるんで緊張の張りがなくなった。左から織ればよいのを右側ばかりでこうなった。対策を講じなかったので斜めになった。僕の怠慢だった。やり直すことにした。

 

 NHK Eテレ こころの時代
 を見るのを楽しみにしている。タイの仏教を学んだプラユキ・ナラテボーさんがマインドフルネスのやり方を仏教で学ばれて、僕たちにわかりやすく話してくれた。手動瞑想という手を動かす一連動作の瞑想で、集中や深い意識を取り立てて目指すわけではなさそうだった。かえってそちらが間違いらしかった。手の位置、動き、そこにある、を分かる ということで合格らしかった。それでよいらしい。何も深い意識を目指さない。

www.nhk-ondemand.jp

 僕はこれを見て、ずいぶん学んだ。何となくイメージできそうに思えた。

 作業所に行く前の公園でのゆっくり歩くというマインドフルネスも、足や手をその位置にある、その動きを自分で分かるというのでよさそうだった。そして、この練習も、練習としてより、すでに実践だと思えた。終わって歩きだしても、手の動き足の動きに意識した。本番として。練習としてのゆっくり歩く自体も、練習と言うよりすぐ使うためのものだと。

 今日の作業所で僕は失敗をやらかした。上に書いた斜めに織りが成ってしまったというミス。この辺の集中加減も練習という、内に籠り・自己内での行為というやり方と密接で僕の弱点になっている。作業所では皆に嫌われた。僕のノロノロ作業に皆愛想を尽かしている。
 
 日本シリーズも、集団として戦い、集団の利益のために身を粉にして野球をやっている。このへんは仕事とも通じている。練習など存在しないのかもしれない。実践に直結している。僕の作業はマスターベーションだ。女体にウハウハしているバカヤローが僕だ。この構図と野球と作業所は同じだ。この打ち込み自体がマスターベーションになっている。実践に直結させないと僕は腐って終わりになってしまう。そのためには、家に籠るではなく、指示さない・さししめさない と。bookなら、本の自己イメージで終わりではなく、流通している本自体を直接イメージし関わり指示す必要がある。何とかマスターベーションを終わらせないと。集団の一員としての作業所も、自ら集団の構成員になり、構成員として見合うものを作り、作ることを通して社会と関わり続ける必要がある。

 最後のあたりはまだよくイメージできない。自己内引きこもりを引きずっている。でも日本シリーズを見てテレビでダイレクトに関わる雰囲気は感じた。何とか脱しないといけない。まだよくイメージできないしわかってもいない。書きながら、背伸びして、前のほうを見ようとし過ぎている。不完全燃焼。何とかつかもうと思ったが。男としてぶつかっていかないと。男としてぶつかっていけないか。なんとかしたい。