::追記::
僕が母の首を開ける(⇔)のイメージで自分を前進させようとしていたのは、自分の問題と向き合わない「すり替え」と先生に指摘された。
それから、自分と向き合おうとし、
☆男としてダメな自分、ペニスを持つ存在としてダメな自分を意識した。
これが現状認識として強力だった。
そこからはじまっている流れで最近、今日がある。
直属スタッフ不在の時に、ダラダラになってしまうか、きちんとやるか迫れた。(自己内)
僕にとっての作業が意味するのは、この手芸作業はものすごく自分にとって大事だと。
ずぼらヨガ、ゆっくり歩く、ストレッチをやっていて、変化する素地はあった。
※ だから、大事な作業を大事に表現しようとした。今までの頭の中だけでなく肉体表現として。ここが革新的だった。
手芸を通して自分にとっての大事なものとしての作業を、大切さという表現で肉体を動かせた。頭の中だけに 留まらず・とどまらず、肉体という演技で表現できた。
仕事なのに、大切さという肉体表現として表現できる可能性をひらいた。歌では表現してきたし、文章でも表現してきた。でも、外圧のかかる作業でスタッフの監視の目が気になり、それに対して負けまいとしてきたのが、自分の大切さという肉体表現の演技として外へ社会へ集団へとエネルギーを放出できた。
これは僕にとってすごいことだった。
大切な作業を大事に行おうとするというは、昨日よりは調子は落ちた。でも、昨日からの
☆身体で大切さを表現しようとする流れは大きくなった気がする。
今までスタッフに後ろ指刺されないようにと、皆にまけないようにとやってきたけれど、それよりは、大切さをリッパーを握りしめ着物の糸除去に表現を込めようとした。肉体表現として。
・ 昨日は朝から、公園でゆっくり歩くの時の足の伸びがよく、調子の良さが期待され、実際よかった。
今朝は朝からコップの水をこぼし、足も伸びなかった。けれど、体重の乗りはよく、昨日より安定していた気がする。(上手くなったということか?)
・ ずぼらヨガは、2日行った。身体の代謝がよくなったのか、あまり寒さを感じず、血流がいい気がする。
今日もやろうと思う。やる気が出る、というのが特にいい気がする。
ヨガというのは、精神的なものかと思ったけれど、肉体的に身体をよくし、結果精神も良くなるという好循環のものだというのを肌で感じている。
ヨガという、その中でも簡単なものでこんなに効果が出るなんて夢みたいだし不思議だ。期待していなかった。
・ 自分を振り返って、中一くらいから、自分の心と身体というか、自分の状態というか、自分の思い描く自分像と社会的に置かれている自分像が食い違い、どうにもならないところに自分の立場があった。それで、自分を変えていくしかない状況に追い込められて存在していた。
その食い違いがだいぶ解消されつつある。理想像は壊れたし、自分のイメージも低くなったし、夢も希望もないが、自分のグレーな状態を愛することができそうな立場に立ちつつある。曖昧で不鮮明な状態に満足を見出し、自分を愛することができそうな気がしてきている。
もちろんカウンセリングの先生の治療、毎日を回すインフラ整備としての基礎部分であるお医者様からのお薬の処方があってのことです。
グレーな能力を愛することができれば、よりハッピーに近くなる気がする。