” 僕にとってのマインドフルネス ”

 昨日の夜から父がいなくなったので僕は楽ができている。最初重荷がないのもさびいしなあと思った。今日は慣れたので自由を満喫している。一昨日の昼から昨日の夜までものすごく忙しかったので、マインドフルネスに気が付いた。

 精神科の先生、お医者さんに僕が忙しかった半年以上前、今やっていることに集中するとイライラに対処できると教わった。

 それを思い出し気が付いたことがあった。僕はその一昨日の昼から昨日の夜までの間にイライラして牛乳のマグカップを倒してしまった。急いで拭いたが、その時に精神科の先のお医者さんの言葉を思い出した。

 目の前のそのことだけに集中する、というのは、僕は今まで

☆  時間に対して面として捉えていた。どういういことかというと、5分忙しいが続くと、嫌だなあと決め付けてしまう。長く時間が続くととらえている。10分間続く、1時間続く、4時間続くとか。そうではなく、そのことだけに集中する、時間を継続として捉えないで、面として捉えないで、その時の物の質感(視覚からくる触感)、ディテール(視覚)、感触を感じること。その時の五感を使って、その時の感覚を十全に回してその時だけの一瞬を感じ続ける。そのようなのがマインドフルネスなのかなあと、僕なりに感じ取った。正しいかはわからないが。
 忙しかったことが、マインドフルネスとはどういうものかを感じ取るよい経験になった。

 僕は周りから否定の咳をされることが多いが、首が下を向いているせいか? そのときも、その人の否定がずっと続く、決め付けられる、被さってくると捉えていたが、そうではなく、咳のディテール、質感、感触を味わって、それだけに集中して、否定と言う咳の裏の意味、またその僕に向けられる否定の継続される決め付けられるを感じ取るのを止(や)め、先に書いたように咳の感触、音の感触だけに集中して感じ取れば、何のことはない、不快でもなんでもない。

 こういうことが、僕にとってのマインドフルネスだった。正しければ、僕は忙しいがマインドフルネスを感じ取るよい機会を得たと言えると思う。