加齢なるトイレ掃除係

 
 昨日の作業所は、やることになっていた女性の担当の男子トイレ掃除を僕が代わってやった。やり終わってしばらくたって、

「僕は仕事ができない」

 だから作業以外の余芸をやるのだと自分の本心をわかってしまった。僕は仕事ができないから、その穴を埋めるべく、皿洗い(今は女性が担当しているので、僕は週1)、ゴミ集め・ゴミ出し、をやってきたと。前からやりたかったトイレ掃除をこの期に及んでやることになった。前は、皆から排除されるのが怖かった、自分がみじめになると思っていた。

 ボスにやりたいというと、その場で何の逡巡もなく即決でOKがでた。この作業所に2回入れてもらったのもボスの判断だった。僕は何をするにもボスの判断を通して自由をもらってきた。今回もボスなしには前に進められなかった。

 僕はトイレ掃除には何も変な感じを持っていない。パソコン作業所に通っていたころは一段下に見てトイレ掃除のおばさんを眺めていた。最近になって、トイレ掃除のおばさんの仕事ぶりが気になる。それに、トイレ掃除を通して成長するという実業家の人たちがいるという流れを知っている。どんな題目で唱えられているか知らないが、とにかく人格形成に効くらしい。確かにあの朝顔、便器の形を撫でていると、こう、広がるというか、運が開ける気分になるのは確かだ。それに、人間という動物の根幹でもあるし、核だとは思う。

 僕は皿洗いでも食っていけるし、掃除でも食っていけると思う。一つの作業所に通いながら3つの潰しが利くというのは、一粒で3倍効果がある、?? グリコのキャラメルみたいではないか?? ちょっと違うような。

 今日はちょっと緊張したが、回を重ねるごとに板につくと思う。僕はトイレ掃除好きだから、何の苦もないや。

☆うんこ・小便、なんでもかかってこい、料理してやるぜ!! (正義のヒーローの決め台詞)

 

☆☆

 仕事ができないというのは、勉強ができないに通じ、勉強ができないは能力がない・ダメ人間で価値がないにつながると思ってきた節がある。父母がそういう人だったと思う。でもいま、仕事ができない、勉強ができない、と認めることは、そこからスタートできるスタート地点になるし、学んでいけばいい。ひとつずつ技術を身に付け、できないというのを塗り替えて行けばいいと感じられる。僕のペースで僕の道を歩めばいいと。

 テーラーSGさんには、逆立ちしたってかなわない。かなう必要がない。自分の前に少しずつ積み重ねればいい。僕の道を歩めばいい。僕は今まで急にすごくなろう、いっぺんに塗り替えようとしてきたけれど、そうではなく、わずかずつでも進もうよ、みたいな感覚でいいと思う。

 僕はいつだって、逆走して道を開いてきた。進まなくなったら逆に走ればいい。今回もそのニュアンスです。最初の時は、一人暮らしをはじめようとしたとき、父母の流れの逆に走り出した。今回は、バカにしてきた役の、バカにされる係りを自分から進んでやろうという逆走、のつもり。臭い汚い、というイメージが付いて回るし。世間的にはそうでも、体験的には快である。それは本当。お金を出してでもトイレ掃除をしなさい、という本もあったはず。新聞ででいていたぞ。<END>

 今日はあさ、3分の2くらい出した。溜まっていた流れがよくなった。

 細野晴臣を最近聞いている。このオリジナリティはすごい。今頃気がついた。坂本的な派手なのしか目が行かなかった。お前は今頃か、と突っ込まれそうだが。存在していなかったパターンを世に出すのはすごい。