小さなささやかな一歩を付け足すことだ。2018/08/03 Friday, Japan.  by Japanese Blog

 今日作業所で、後半、マフラーを織っていたのだけれど(ボスの指示で、白の経糸緯糸細いので、5センチ25本の経糸か?、5センチ平織・10センチもじり織りをワンセットで4回繰り返し、5センチずつの平織ともじり織り、そして首の当たる部分の25センチ平織、これで半分の95センチ。そして、これを逆向きに織っていくと、半分で対称のものができる。50センチ余裕をもって整形した。190+50の2メートル40センチ。出来上がり。

 これを織りあげていた。そしてフリンジだけれど、フリンジはゆっくりだからゆっくりやればいいと僕はのんびりやっていた。最後に焦って終わらせようとスピードを上げたけれど、僕はゆっくりを決めつけていた。この部分はゆっくりだ、ゆっくりいけばいいと。そうではない、工夫の余地はあるのにしなかった。ここでもねじれていて、ゆっくりやってしまって、それを否定して、早くやろうとした。
僕の基本は現状否定の次のものへの移行という流れ。現状は常に否定され、否定された現状への反発として、次のものへの乗り換えとなる。
ここの部分がとても変だ。それを言えるのは、

・満足の心、清澤満之きよさわまんし、kindleダウンロード(キンドルなくても読めるよ)

をダウンロードしていたから。読んだのは、半年くらい前、もっとか? 昨日からまた読んでみて発見があった。

現状に満足して、その現状から奮発して頑張って未来を作っていこうとする。その現状に満足すると言うのが、現状は過去の自分の営みを肯定することで、分相応、そこに加える形で未来を作っていく。現状に満足、過去の営みを振り返ってそれが現在に続く流れとして受け取る満足としての現状に満足と言う形がある。

 ここで思うけれど、現状では否定したい過去の営みも否定するべきではないと思われること。僕の場合だと、内向して他者とのコミュニケーションをとってこれなかったこと。これは否定したい。前はダメだったけれど、これからはオープンにとかと。

 でもそうじゃない、現在に満足するためには、過去の自分を認めること。過去内向してきて人間関係没交渉だったのを現在において肯定することだ。今までの僕なら、昔はダメだったので、これから頑張ると。過去を否定して、現在から未来へ羽ばたこうとする形をとってきた。清澤満之さんのを読んで。これNGだと思える。

 新しいやり方なら、振り返って、僕は没交渉でやってきた。人間関係上手く結べなかった。だから現在もうまく人間関係まわせない。ここでこれからは、と行きたいのをぐっとこらえ、僕は人間関係築くの苦手だった、うまくいかなかった。だから急には無理だよ。もし人間関係ができるようになりたいなら、いままでできなかったことを一つ積み上げてみたらどうだろうと、過去を否定して急激に未来を築くやり方を却下するべきだと強烈に思う。過去を否定しないで、過去の流れを少し変えていこうか、過去はダメだった、ちょっとだけ一歩だけ進もうか、みたいなスタンスが自然だと思う。

 今までダメだった、急激に変えなきゃ、ではいつまでたっても自信はできないし、急速にやるやり方は失敗を生む。うまくいっても、現状否定なので未来にしがみついちゃう。
 やはり、過去のダメな歴史を踏まえ、できないなりの自分が一歩を踏み出そう、のニュアンスがいい。

// 昨日女性と寝る夢を見た。父に隠そうとしていた。やはり夢だと現実を反映している。 //

 僕は革命を起こそうとして失敗する、情けない役を担ってきたのかもしれない。そうではなく、失敗者の一歩踏み出しになるのが、理想の役目かも。そう。認めてしまった。革命家ではなく、落伍者だと。落伍者は一歩を踏み出せると思う。


 女でも勉強でも仕事でも使える枠組みだと思う。過去のダメなのに+1 してやる。+1は革命であってはならず、小さなささやかな一歩を付け足すことだ。


追記・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・
 ということは、過去のダメなのに、仕事のできない自分に、できないなりに一歩踏み出そう、とするニュアンス。ダメな過去を肯定する。一歩は切り離していい。ちょっと足してやるだけ。過去のダメな自分が大事だ。未来のできる自分と言う革命家は使用しない。ささやかな一歩は本当にちょこっと足すためにある。書いていて、過去のダメな自分は土台で、そこが軸足でスタートライン。できる自分と言うのは砂上の楼閣 さじょうのろうかく だ。

 物を買う、というのも、CDを持っていない自分が土台で。持っていることを目指すべきではなく、CDを買う行為は別の流れだ。一気に現状が変わる。もっていないという、ない自分が土台で、CDを買うのは革命だ。この時どういう心構えが必要なのだろう。持っていない現在から、CDを買う革命は切り離すべきだ。それは別の流れだ。持っていない自分に満足すべきだ。買うことに軸足を移してはいけない。何もない自分に土台があり、しっかり踏みしめるべき。持っていない自分を踏みしめ味わい肯定すべきだ。持っていない自分に満足すべきだ。CDを買うのは別の手だ。別に考えたほうがいい。買うことに執着する必要がなくならないだろうか? 理想の話だったけれど。


 作業所での作業は、どんどんぶつかっていったほうがいい。手先でコチョコチョやらないで、作業自体に自分をぶつけていく、周りの人にも熱意をぶつけて行けるように、作業は集中していい。