僕はまだ他者と出会っていない

追記:
 起・勃 ペニス とは、自分の存在の身体の表面に 起・勃 ペニスの言葉を唱えることで、そのイメージを身体の表面に張り付かせるイメージを持つこと。そのことで僕は、自分の存在が集団の中で現れる気がしている。まだおぼろげだけれど。

 今日は休日で、だらだらして時間が過ぎていった。ここは気になるところで嫌だと思う。自分の部屋も、自分の時間も、家の居間も、社会的な場所で社会的活動をしているところと言うイメージが必要だと思う。居間も自分の部屋もぐちゃぐちゃだ。
 それは社会に対しての内側だと思っているから。
 これは間違い。自分の部屋も居間も社会的な活動を行うところ。自分の時間も社会的な時間だと思う。僕の内向のさせ方は間違いだと思う。間違ったイメージ。そのような気がする。



 僕の理想は、大奥のように女性を365日とっかえひっかえして夜を過ごすこと。

 僕は女性をそのようにしてしかみていない。女性と言う個人が立ち現われていない。女性と言う性欲のはけ口という、マスターベションの対象としてしか見えていない。

 作業所で、50代女性をいいなあと思っているが、僕から個人的には話さない。それは前の作業所で密になって離れて(言葉だけの関係)、その女性から散々冷たくされて懲りたというのがある。どう距離を取ればいいかわからないし、僕には作業所のその女性の魅力をまだ発見していない。その女性はルックス的にはかなり落ちる。野暮ったい。話し方が好きだ。その女性の世界への距離感も好きだ。人と接するその交通整理の仕方。性欲の対象とは見ていない。この女性なら僕も幸せになれそうな気がする。

 でも、その女性の魅力を僕はまだ発見していない。その女性が他者として僕の前にいない。僕の延長上になっている。


 YMO,坂本龍一 YOUTUBEをかけながら打ち込んでいる。僕は自分の勢いを現わすためにこれらの音楽を聞いてきた。でも世間の人は違うだろう。他者が存在している。坂本達が作った音楽を聞くと言うのは、坂本の作った音楽と自分が出会う場所。坂本の曲があって、聞きたい僕がいる。坂本の演奏があって、聞いている僕がいる。坂本の活動をきちんと理解してわかってそこを聞いている人がリスナーだと思う。僕は、自分の勢いを表す延長上に坂本がいた。自分を増長させるため。利用こそすれ坂本はそこにはいない。僕だけがいた。僕だけが世界だった。幼稚な裸の王様。そこが僕。


 最近の作業所では、僕は、作業所で苦しいので起・勃 ペニスとして自分を存在させようとしている。自分を出すため。これは、抑圧とペニスが、自分と他者が・僕にとってはペニスがキーワードになると踏んでいるから。起・勃 ペニスが自分を立ち現わす道具になり他者も同時に自分の周りに現れることになると思うから。自分を存在させることができるなら他者も同時に周りに存在している。同時に現れる。
 その辺が起こりつつある。端境期(はざかいき)だと思う。今の段階は幼児。ペニスをいじくる幼児のような。