勘違い十字架を背負った:変化とは: 23 Wed

僕の苦悩の物語:2018/05/23 Wed
ACTをはじめる、星和書店 課題: 


 首が潰れている主訴と共に、他者と対等に同じ土俵に立っていない。僕は一段低いところにいる。そして主体性が十全に発揮されず、上から押さえつけられように制限されている。でも、この制限は取っ払うことが可能だ。行動の枠組みを広げてやればいい。テレビ塔に登ったり、観覧車に乗ったり、これらは行動を広げていた。

 同じ土俵に立っていなくても、自分のやりたいことをやっていれば、同じ土俵にこだわらなくても気にならなくなると思う。自分に対する制限をかけるブレーキが僕の苦悩を作り出している。




 作業所の若い女性に執着したのも、小・中・高・大と女性に憧れながらも付き合ったことがないという、僕の寂しい人生、女性と縁がない、また、付き合う力がなかったその弱さが立場の悪さが女性関係の縁遠さを生んだ。僕は女性関係で寂しい人生を歩いてきた。その自分の自分に対する弱さが女性と関係できなかった原因だ。ここを直視しないと、若い女性に執着することは続いてしまう。若い時に女性と付き合えなかった。青春を謳歌できなかった。寂しい自分がいた。




 7つの習慣 ファミリーで、父の実態を直視して乗り越えた女性が登場した。

 僕が父を直視すると、父も弱さが核となっていまだに負の中にいる。

 父は自分の弱さを直視できない。劣等感を自分の弱さを見ることができない。他者を攻撃したり貶・おとし めたり、自分を大きく見る。父母関係(僕から見ると祖父祖母)を克服できなかった父がいる。責任転嫁で乗り越えなかった。僕自身がまだ父を越えていない。父を乗り越えるとは、父の本質をよく見ることだ。

 父は怒りと憎しみが核になっている。これは祖父祖母に向けるべきものだったと思う。それをずっと引きずっている。祖父祖母の亡霊に縛られている。僕は弱い父を直視できずに縛られている。父の怒りと憎しみの原因を自分に求めているのかもしれない。本当は祖父祖母が原因だ。父の未熟さが、僕に向けられただけで、僕が原因ではない。




 母の僕を疎外する力も、母の祖父祖母が原因だと思う。母は僕を疎外するが、それは父の時と同じように、母の祖父祖母が原因で、母の祖父祖母を乗り越えなかった。僕や父に向けている。母の未熟さが原因だ。母の僕に対する疎外は、僕が原因ではない。



 僕は勘違いの十字架を背負ってきたらしい。父の憎しみ怒り、母の疎外。これは僕が背負わなくてもいいものだ。全部父母に返してやればいい。僕のものではないと。この辺ができると僕の苦悩はなくなるかもしれない。


父に怒りと憎しみを向けられたら、背負わないで、父に返せばいい。父の持ち物だと。

母から疎外を受けたら、母に返せばいい。母の持ち物だと。

背負ってしまうから十字架になる。偽・にせ キリストになる必要はない。
この辺は実践とスキルと繰り返しが必要だ。勘違いがすべての原因だ。





変化とは:


 父の借金問題で、父に自分の思っていることをぶつけてみた。それで交流が図られ、親戚叔父にもオレオレ的側面があることに気づいた。薄々は思っていたことだけれど、父と話せてよかった。父も全くダメと言うわけでもないなと楽観的に思った。

 
 ヨシケイのレシピに基づいて調理していて、調理は変化させることだと思った。煮たり、焼いたり、炒めたり、切ったり、刻んだり、調味料をかけたり、盛り付けたり。時間軸に沿って変化と言う魔法をかける作業だと。それで人間の食べる料理になる。人間のための調理された料理になる。

 死も同じで、死んでいくとは、老いていくとは、変化だと。変化だから恐れることはないかもしれない。

 Gimp2で、カウンセラーの先生向けのロゴを作っている。消しゴムが綺麗に消えるツールだった。このお絵かきソフトはかなり高品質だった。他のものだと、昔、あとが残るのが多かった。