裂き織り3 カウンセリング。

4/20 Fri

 持ち直した。最初は低調からスタートした。相変わらずデザインを考える悪さはあった。
 目も飛ばしたが、初期の段階で戻るのも早かった。

 持ち直したので、ゴミ集めや掃除機かけをやった。皆に昨日は迷惑をかけたのでお詫びもあった。良く昨日は刺されなかった。男陣が見逃してくれた。織りのデザイン以外の動作も、楽しくできた。そこはよかった。グイグイ目を詰めた。力を込めて櫛を通し手前へ引っ張った。空いたスペースをまた奥の着物を引っ張って埋めてガッチリとした裂き織りをつくろうとした。たぶんミスはないつもりだが本調子ではないのでどこかに見逃しがあるとスタッフの大目玉を食うだろう。目の詰まった裂き織りは見ていて気持ちがいい。鱗・うろこのような経糸・たていとの交互のラインができる。




4/19 Thu

 今日は最低だった。脚は止まり手も止まった。絶不調だった。織りもデザインばかり考え、織りの動作がおろそかになり目を飛ばした。これを打ち込む動作もミスタッチが多い。全くのダメな日だった。最低と言ってよく、よく無事に帰ってこられたと思った。


 今日は作業所の僕の休みを取った日でした。

 きれいごとばかりでなく、僕は今の作業所に通い始めてカラオケに誘われました。そこで先輩織り氏に裂き織りをやりたいと言ってほしいと言われました。僕は返事もせず、実際に何も言わなかった。それは、その時の僕は結城紬の織り子のようになるのが目標でした。(幼かった)
 それでやりたくなかった。1年後にスタッフに裂き織りをやるように言われてやってみました。感想は、汚い布を織り込む小汚い行為だなと。みみっちいと。でも、僕は前のパソコン作業所でトイレマップに誘われてその日は断ったが次の日受けてそこから展望が開けた行為があった。それは、断らないほうが世界が広がると思ったから。そして自分の場所づくりになるかなと思ったから。実際にそうなったので、受けることの大切さを感じていました。実際僕はトイレマップでパソコン作業所に居場所をつくりました。

 それで、裂き織りも受けました。そして、一本ずつ切って差し込んで、目を飛ばしてボスの怒りを買いました。その後の流れは昨日書いたことにつながります。


・ 今日は、カウンセラーの先生にスカイプで会話をして診て頂きました。
 僕が調子の悪い時に父のペニス切断とペニスから頭へ貫く鉄の棒のイメージで対抗して、交通機関の圧力をかわした、と言う話をしました。結果、調子の悪い時はネガティブなエネルギーを受けやすいのでそれでいいのではないかと。そういうお言葉をもらいました。



 昨日作業所で裂き織りをしていて、布選びやデザインは誰がやっても楽しい行為ですが、布の目を詰める力技やほつれを切る調整作業、布の折り返しの耳を切る(糸を切らないよう気を付ける)行為、失敗がないか目を光らせて織りを見る、そういう、作るための裏作業といいますか、必ず必要になる淡々とした行為に僕が喜びを感じたことがカウンセラーの先生との会話で重要だということを教えて頂きました。先生はその淡々とした作業に喜びを感じたことを喜ばれているようでした。僕の成長を祝福されているようでした。僕はそういうのは大したことではないのかなと思っていましたが、マインドフルネス同様重要らしいです。

 交通機関の、ゴミ分別のオジサンやトイレ掃除のおばさんの行為に僕は興味を持ってみています。僕もしていることだし、その重要性に気づいたからです。パソコン作業所にいたころはバカにしていました。一段低く見ていた。そのことも先生は喜んでくれました。
交通機関で歩く速度を抜かれてもどうでもよくなってマイペースでいられるのも大事なことだと教えて頂きました。こういうのは、大したことではないと思っていましたが大事だと。僕は些細なことは成長だとは思っていましたが、どの程度重要かわかりませんでしたが、先生の反応で重要さを再認識しました、というか教えて頂きました。

 耳ひっぱり体操も、(藤本靖先生)、脳幹(恐竜の脳・恐怖とかが深く刻まれれるところ・本当か?僕の理解は正しいか?)に聞いて重要だと。僕は毎日やっています。(交通機関で)

 マインドフルネス、風を感じたり、春を感じ取ったりも重要だと先生に言われました。マインドフルネスは忘れていました。僕は重要なことを考え違いしていたようです。立派な行為や大きいことではなく、日常の小さな幸せに自分にとっての大きな一歩があるということ。そう、僕は裂き織りの地味な動作に喜びを感じました。同じ動作の繰り返しに。そこが大事だと言われました。

 先生の反応を見ると、僕はだいぶ成長したようです。今日は自分の状態が良いせいか、先生の声も映像も近くに感じられました。僕のパソコン絵・10年くらい前の物を見て頂いて褒めて頂きました。僕はアールブリュットの団体から芸術家と認めてもらえなかったので全くダメなのかと思いましたが、褒めてくれる方もいるのだなと感じました。先生には世界を広げ頂きました。僕は自分で小さくしていたようです。先生の反応は僕の小さい居場所を広げる行為を褒めて頂くことで教わりました。些細なことの大事さを。些細なことのほうが、大きいことより大事なのかもしれません。僕は先生の目を通して僕の目も広げてもらいました。