12 Mon うた /11 核心/10/9/8/働・織教室/

12 Mon

 林で歌った。できは30%。飾りじゃないのよ涙は、氷の世界と1回ずつ歌いならした。氷の世界だけあと3回繰り返した。

 氷の世界は戦闘モードでないと歌えない。頑張ろうとしたが調子があまり良くないらしく戦闘できず、チャンバラごっこ くらいの感じになった。力が伝わらない。ギアも入れられない。

 30%だったが、今日はこんなもんだろうと思った。

 だが、帰り道、男で歩こうとし、胸が張れて上を向いて歩いて、えらくまともな歩行だった。歌の帰り道は男っぽく歩くことができた。なんでだろう。勝手に身体が調子が良かった。



ヨシケイ、今週は食彩。前週のプチママは、時間が短く楽で良かったが、食彩は1時間かかった。プチママ自体も30分かかっていた。僕はパッパとできないので、ズルズル料理することになる。

 トマトケチャップベースの味は父の受けが悪かった。そんなことどうでもいい。僕はうまかった。材料をぶち込んでいるし、量もあるし、うまかった。ヨシケイはうまい、材料が多い、満足だ。でも、働いていたらこのペースは困る。面倒に感じると思う。プチママが僕向きかも。

 ヨシケイで、いろいろな材料を使い料理するというのを覚えた。僕の今までの調理は食材の種類が少なく量が多いというものだった。料理とはこういうものかと言うのを感じた。今日は塩味を多くしたので、はっきりしているし、成功は間違いなかった。でも、塩をいろいろ使って健康も気になった。(量をたくさん食べたので)

 来週は休んで自分で調達し作る予定。その次は又、ヨシケイを頼んである。
 ありがたいです。僕にとっては贅沢だ。 





11 Sun

見やすい shaun white

youtu.be


鳥の気分で、一緒に滑っているように感情移入できるロングなカメラ

youtu.be


 リコーダーを吹いた。

kindle ダウンロード

7つの習慣」クイックマスター・シリーズ 第一の習慣:主体性を発揮する 選択する力



電子ブックの81%、「選択」と「結果」の見出し
☆☆引用:「しかし、極論すると、人には結果を選択する自由はありません。」




 と言う一文がある。これものすごく正しく核心を突いていて、重要な言葉だ。

 僕はリコーダーを吹いたけれど、いつも、失敗を一番気にし恐れる。それは間違いだと。僕は間違わないように吹きたいと思い萎縮している。これは、結果が悪いことを先取りし、そうならないように常に身構え恐れるということ。これは、どうにもならない結果を操作しようとする悪い習慣と間違った判断だ。

 男として吹こうとし、指の動きをよくし、きちんと指を押さえて吹こうとすることができる。男として、指の操作、バックミュージックをよく聞きながら吹き、男として音色を味わい、曲調を愛(め)でることができる。しかし、失敗しないようにと言う、自分で結果を変えられないのに、結果を先取りしたり操作する、間違った考えは執着を生み出し、執着ゆえの失敗・無駄なこだわりを生む。

 執着はリコーダー吹きで最も避けるべきものだと感じる。執着すると注意がおろそかになり、ある点ばかり見て、動いていく曲の流れを滞(とどこお)らせる。リコーダーを吹く時は、執着を避け、あらゆることに気づいて、流れを止めないで、気づきながら流れていかないと僕のいつもの癖の失敗を生む。執着から自由でないといけない。男でリコーダーと関わり、四方に注意を向け続ける。流れの中を注意深く泳ぎ、立ち止まったり執着しないで、流していく。今のところそのくらいしかわからない。






追記:
平成30年2月10日 土曜日


北海道新聞:はなし抄:詩人・児童文学作家 藤川幸之助:2010/04/04(日曜日)札幌圏 28ページ


(kurage0147130)の勝手な取捨による引用:


 また、父も一緒です。母が認知症にならなかったら、父は母の手を握ったでしょうか。握らなかったと思います。しっかり握って暮らしていました。認知症になったからこそ、そばに寄り添い、父は母を愛しました。父と母の結び付きを深めることができました。




(kurage0147130):今日の日記に戻って:

 図書館へ行き、藤川幸之助さんの「手をつないで見上げた空は 認知症の母からの贈り物」を借りました。

 この新聞記事が出たころ図書館で「mother」を借りました。どうも居心地が悪く少し見て返した。

 今回借りてみて、この人結構きつい。暴力のような強さがある。だから僕は弾き飛ばされてよめなかった。でも、今回、洗面台まで父の手を引いたり、ベッドまで父の手を握って誘導したりしているので、介護に齧っている。だから世界に入りやすい。でもやはり、詩はドギツイ感じがする。今回は読み切るだろう。僕も当事者になったので。

 この新聞記事のタイトルは「人を支えるということは、人に支えられていること」と言うもので、僕にも父の面倒を見ることで響くものがある。父を支えているつもりで、父に僕は人間をやらせてもらっているのだろう。父との結び付きが昔とは変わった形で現在進行している。


2/10 Sat

 平成30年2月10日 土曜日

・ わろてんか、金曜日の分、見ました。涙を流しながら見た。上質で良かった。
 
 役者の人はなぜあんなに心を表情や身振りで表現できるのか不思議だ。すごいなあと思う。すごさに酔いしれる。

 
・あさNHK第一ラジヲを聞いていて、子育てのお母さんが社会から外れてしまって、旦那子供としか会話しない閉じた生活を送っているので、地域で力になり、お母さんの外へ向かう力を活かそう、と言うような僕の理解だけれど、というのを後押しする団体を作ったとか聞いた。
 わっしょいパートナーシップ

wa-shoi-partnership.amebaownd.com


 
 僕は父の面倒と、入院してしまっている母の面倒を見ていたので(ごく短い期間だったが修羅場になった)、社会から介護で外れてしまうのを身をもって感じている。女性の子育てと、親の介護、違うが立場は近いと感じる。僕は父としか会話していない。外出も少ない。社会と接点がない。
 女性の子育てが地域と接点を持てるなら、親の介護も地域と接点を持てるのではないのか。僕も団体に参加するという手もあるなと気づかされた。

 僕は弱い立場の人が立ち上がるというストーリー設定に弱い。とても感激する。僕もそのストーリーの中で活躍したいと思うし感じる。





平成30年2月9日 金曜日

・ 朝ドラを見ていますが、わろてんか、最近のリリコ&シローの話は面白いです。今朝は見逃しました、どうやって壁を乗り越えるか楽しみです。社長の息子もまんじゅうを作ったりして、皆で壁に向かって毎日やっているという創造的な話が好きです。カーネーションと同じくらい面白い。最初のほうの話は見逃しているのでどうだったかわからないけれど、すごく好きだ。

・ やったことに満足するということは、味わうことだと思う。今のカウンセリングの先生ではなく、学生のころのカウンセリングの先生に手紙をもらった中で味わうように仕事をしてみたらどうですか、みたいな内容をもらった。その時の僕は最低だったので、なんだこんなものと思ったけれど、今の僕は大事なことを言ってもらっていたと感じる。
 男として体験し、その体験を味わっていて、だから満足する、という流れが良いような気がするが成功例がないので何とも言えない。日常生活でそういう例が出てくればいいのだろうけれど。

・ スーパーに行くときに、男として体線を周りに向けたけれど、この男としての体験は、幼稚園以来だから、45年以来だと思う。よいことなのだけれど、時間がたちすぎていて悪い体験のような気もする。素直に喜べない。
 でも、男としての体験が始まった気がする。この辺の展開は大きいことのような気がする、自分内だけのことだけれど。

・ 変な話では、最近自分の屁が臭かった。自分でしておいて、胸いっぱい吸い込んでしまっていた。だから臭いのがよくわかった。これはあまり良くないことなのではないかと思うが。わからない。ぼけています。






2/8 Thu

 身体から外に向かって、体線を出す周りの環境に向けるというのですが、男としてそれをやろうとしました。スーパーにだけ外出しましたが、その時にやってみました。男として体線を外に向ける・気を外に出すというのは成功しそうだと感じました。
 契約書を作っています。すぐできそうですが、父の許可を取るのが面倒そう。今朝の夜中、そのことでごねられた。




2/7 Wed
 今日はメインがありました。
 面談の合間に、ケアマネージャーさんが僕のほうに来て疲れていないか聞きに来ました。僕が下を向いて閉じこもっているのを寝ていると判断されたようでした。僕は、集団の中で自分の居場所がないような気がして下を見て閉じこもったような態度をとりましたがそれを勘違いされたようでした。
 僕は、抑圧的な環境で育ったせいか、伸び伸びとしていません。萎縮して下を向いたような状態です。

 しかし、この間、身体のラインから線を出す。気を出すように、周りに身体からの線を外に向かって向けて出すというのをやり始めました。それを今日のお医者様への診察に出かけた時にやって歩きました。だいぶ姿勢もいいし、外交的になった気分でした。これが定着すれば、外へ向けて僕はだいぶ開かれるものと思われますが、悪い癖を続けたせいで元に戻ってしまうことも多くなることが予想される。なるべく体線を外へ向けて出して、身体から気を出して開かれるようにする癖を身に付けないと、働こうということも長続きしないことが予想されます。案外ここが橋頭堡かもしれない。ここをクリアすると割と生活は回るかもしれない。

☆☆ 身体から体線を外に向かって出して歩いた時は、気持ちよかったです。




追追記:父も僕もこのプログラムで動けるのか。全うできるのか。ちょっと不安がよぎる。無理があるなあと思ったら、誰かに相談することを考えたほうがいいかもしれない。始めから予防線を作っておいたほうがよさそうな気がする。自律計画支援の方や(僕)、ケアマネージャー様(父)とかに、愚痴を言うことを最初から計画しておいて、水が決壊しないようにしておいたほうがいいなあ。


追記:ケアマネージャー様+お医者様

 ケアマネージャー様、役所の職員の方に来て頂いて、父の調子を判定してもらった。結果は郵送で送られてくるらしい。2級から3級へを申請している。

 そして、ヘルパー様とデイサービス様の長の方に来て頂いて契約書を頂いた。ケアマネージャー様の話によると契約をすると僕はいつからでも働けるそうだ。汚い部屋を見られてしまった。

 また、僕の通院日でお医者様の診察を受けた。お医者様は、僕が無理をすることを心配しておられた。僕の病気は無理が一番いけないので、やることを後ろにずらしてでも無理をしないようにしたほうがいいと指導して頂いた。

 僕は様々な方に支えられて働ける運びとなった。2月から5月は去年は調子が悪かった。今年はどうか。一抹の不安はある。追い込まないでゆるく働けると一番いいのだろうけれど。

 部屋が汚いので、掃除を進め、契約書を取りに来て頂いて、職安に行くことになる。働かないのも恐いが、働くのも恐い。両方とも長所と短所を持っている。僕が働いても金銭的にはほとんどメリットはないが(支出も多くなるから)、活動してお金を使うのはいいことだろう。父に負担がかかるのも不安がある。とりあえず進めるしかなくなった。

 変なブログでこの人どうなるのだろうと思われた方、ここまで漕ぎつけました。ありがとうございます。自分に自信はないけれど、何とか進めたい。<追記終わり>




平成30年2月7日 水曜日


 昨日の帰り道で調子が悪かったのだと思いました。

 昨日は織り教室に出かけました。今度いつ行けるかわからないので作りかけを撤収しなければならなかった。行きたいのに行けなくなるというのは淋しく後ろ向きで小さくなることだった。織り自体は久しぶりと言う事もあり、ミスが目立った。目を飛ばして織っていて、だいぶ進んでから気づくという何とも間抜けていた。ランチョンマットも完成できなかった。途中で捨て織りした。

 先生は親切な方で、アシュフォードの織り機を買う前に試させてくれるという。先生が自宅に保管しているものを教室も持ってきていただいて、僕に試させてくれるという。これ以上ない申し出だった。ありがとうございます。


 先生にインターネットで指導してもらうというのは、僕がアップして先生がメールで返事するというのなら受けてもらえそうだった。

 でも、僕との関係は昨日で切れてしまった。最後の受講だった。(アシュフォードの練習をさせてもらうため伺うと思うが)

 とても悲しかった。帰りの交通機関でも萎んでいた。まあ、調子が悪い日だったので、調子の悪さがメインとして自分にかかっていたけれど。



 アシュフォードの通信教育はないので、やはり先生に指導してもらいたい。料金をお支払いして、動画を見てもらって、メールをもらうというやり方。

 本当のところ、切れているのに織りを続ける自信はない。なんか、正念場になってきた。逃げてしまうのか、きちんとできるのか。今までの僕は逃げてきている。今回も試される。