満足について:

歌いに行った。森進一をうたった。
女のためいき、命かれても、花と蝶、おふくろさん、襟裳岬 と進んだ。

できは40%。もともと得意分野だった。これを50%にするには、歌詞をよく読み、自分の解釈を作って、逃げ道をなくし覚悟をもって本気で向き合い、歌詞の世界に没入すればなるかもしれない。60%にするには、歌唱力が必要だと思う。僕はでたらめです。

 のど自慢、今日の放送を見て、うまい人がたくさんいるのだなと思った。僕は真ん中くらいだと思う。トップレベルの歌唱力はないし、ど素人でもない。良いところもあるけれど素人というレベルだと思う。

・20歳からの<現代文>入門 ノートをつけながら深く読む

というのを8年越しで買った。出た当時2010は、難しそうと思って買わなかった。今アマゾンレビューを読むと、よいだろうけれど時間がないという人がいた。手間がかかりすぎると。僕は読む本が少ないし時間がかかっている。そんなに冊数読まない。だから、少ない本の深い理解が必要だ。

 最初の はじめに の文章は名文だと感じた。引き込まれた。この本読み切れるのではないかと感じた。投げ出さないことを自分に祈るけれど。





・弱虫でいいんだよ

 この本、僕の核になる本だと思うけれど、この本の深い理解が欲しい。是非欲しい。だから時間がかかっても詳しく理解したい。


20歳からの<現代文>入門 は、メルカリで300円で2冊ある。僕は一冊買った。


 からだの自然が目を覚ます 気功入門
 一日の簡単気功レシピ

と言うのも買ってしまった。読み切れるかわからないけれど、働いたら日常でやりたい。通勤時間内で。








平成30年2月4日 日曜日



 しつこいけれど満足について。満足はすごいことをしたから満足ではなくて、顔を洗った、歯を磨いた、食事を作った、食べた、マスターベーションしたなど、なんでも日常の一つ一つの動作に対しての満足。


 ちょっと思ったけれど、洗面台を洗っていて、溝にごみがたまっていて歯ブラシでこすって水で流したらゴミが流れた、少しきれいになった。その時のちょっときれいになったということに対して満足する。言い方を変えると、フィードバックを受け取るということ。

 洗面台を洗って、洗いっぱなしで次の歯磨きに移ったら、洗面台を洗ったことは未消化になってしまう。洗面台を洗うという行為をして、ゴミが取れた、少しきれいになった、よかったという、自分の行為、そして対象の変化を受け取る、自分の変化を受け取るフィードバックが不可欠だと思う。そうでないと、僕みたいに次々動作は変わってもやることに追われて何も満足がなくなってしまう。

 歯を磨いたら、すっきりした、一動作終わったという満足を受け取り、変化を認めるべきだと思う。そのちょっとした5秒位のことが生死を分ける、大袈裟か・・・。


 5秒間、その直前の行為を振り返り、味わい、変化をよく受け取る、フィードバックの時間を持つというそのことが満足となり、次の動作に移る原動力になると思う。満足がないと次の動作、次の動作と追われて何が何だか分からなく休み暇がなくなる。一呼吸置くためにも、5秒間の振り返りは不可欠かもしれない。このブログも書きっ放しで次の動作に移ってきていたので、僕の中では追われるという気持ちがずっと続いている。


 今日は満足について書いた、ちょっと前進した、僕の日常の根幹にかかわることについて深められた、いろいろな動作にフィードバックを入れて振り返り満足する5秒間を持つことにしよう、と終えられたら、僕にとって僕のためにとって偉大な一歩になると思う。僕にとっての核となる「満足する5秒間」というテーマだから。満足が続けば日常はまわせると思う。休憩を入れながら。そう、休憩を効果的に使うのも大事そうだ。僕は休憩をしないことがほとんど。休憩も上手に効果的に入れる技術があると思う。