カウンセリング 1/30 Tue

平成30年1月30日 火曜日

 カウンセリングの先生に会ってきました。

 昨日のブログの内容を読んでもらい、地下室の骸骨男に会いに行きました。(心の中の僕の分身)

 地下室の前で黴臭いにおいがありました。どんなに冷たく殺伐としていて暗いのだろうと予想しました。先生も同じだったみたいです、終わった後の反応を見ると。

 予想は裏切られました。ドアを開けると、部屋は真っ暗で黒くて、右前方に床に炎がありました。明るく暖かく燃えていました。そして先生の主導のもと他の物を見回すと、子犬がいました。40センチくらいの黒い、のらくろの上官の鼻の所の毛がふさふさした奴、外国犬種。背中を撫でたり、膝の上に載せたりした。なついていくれた。これはボランティアで猫の世話をした経験が活きていると思った。


 先生が部屋の中の他の物を見回してみようと仰って、ゴミ箱の紙屑の山などあったけれど、僕には気にならず。そしてチューチップの鉢植えがあった。赤いチューリップ、素焼きのよくホームセンターにあるレンガ色の奴に一輪植えられていた。また、プランターにスズランもあった。白いプランター

 これらの植物は、この家の庭にあるものやあったもので、父母との思い出を写していると思った。この家族も終わろうとしている。その寂しい、影の薄さ、孤独感への前触れなどを映し込んでいる。と思う。

 世界地図も壁にあった。デスクマットの下によく貼ってあるありふれたものだけれど。右壁には骸骨男がいる部屋のノブがあったけれど呼ばなかった。部屋にいてもらった。

 正面机の上には、ホヤのあるランプがあった。炎も燃えていた。明治頃の筒形で、下が膨らんだガラスがついている昔の暮らしで常備されいたやつ。部屋自体にも、電球がぶら下がって明るくなっていた。でも、深夜の山奥の空気感が流れていた。黒い部屋だし、夜の雰囲気だし。


 カウンセリングも時間切れで、子犬の背を撫でてから、尻尾を振られたけれど、階段を上り現実に帰った。
 このように妙に明るい地下室だった。殺伐としていず、暖かみのある部屋だった。炎の熱にも身体は温まったし。どう考えても僕は回復傾向にあると思う。幸せ感の詰まった部屋だった。孤独の暗い影はあったけれど。


 追記:帰りの地元の道で、骸骨男の部屋の黒床から、床一面植物の芽が噴き出すイメージが見えた。ニョキニョキと床の板を突き破って一面生えてくる。生命力のあるイメージが白昼夢のように浮かんだ。すごくうれしいイメージ映像だった。



・ なくなっていたジャイアント馬場のサインがやっぱりあった。小学生の時に地元のスーパーで本人からもらったもの。顔がでかくて、でかい葉巻をくわえていて、身体も大きく、普通っぽくない関係者に囲まれてジャイアント馬場は座っていて、列に並んで、手渡された。サインは真ん中に縦に細く書かれていて、ありがたみはなかった。なんだこんなものと思った。
 でも現在、ジャイアント馬場さんは明るく人の良さそうな目をしていて、好きになっている。出てきたから、壁に飾ろうと思う。色紙は染みが浮いてしまった。ちょっと残念。




Smashing pumpkins Mellon Collie and the Infinite Sadness は、予測不能な曲が並び、作曲の才能があるのだろうなと、鈍い僕も薄々感じる。351円で、品のよいのが送られてきた。





 僕は、幼児的万能感から、依存的状態から、孤独・個人的・分離状態へと移行してきたけれど、最後は・老化したら無力感・不能感・孤立感を抱いて死んでいく、そういう未来への道を歩んでいくのだろう。ただ、最後に孤立するか、バトンを手渡して若い人と楽しく過ごせるかはなってみないとわからない。そのような高齢者になりたいとは思うけれど、56歳以降の自分は思い浮かべられない。壁を越えたら、社会貢献をしなければならないし、奉仕するような方向へ進むといいだろうと思う。具体的にはわからないけれど。社会のためになるような。人のためになるような。余生なのだから。でも、やはり、毎日に追われるのか? 明るい未来を夢見たいとは望む。65歳まで働けたらなあ。

 

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どのくらい凄いのかわかりませんが、リンクしました。