暖炉で暖まっていっていいんだよ(僕の分身に対して声をかけるなら)

カウンセリングの先生への提出文:


 自分に満足する、というのなら、ちょっと前のことからだいぶ過去まで、自分の認めてこなかった生活・人生を肯定しなけれならないと思う。料理でも、でたらめをやっていても家の食事を担(にな)っているのだから満足して肯定していいと思う。


 僕は自分内引きこもり・内向・意識が内へ折れ曲がってきたのですが、それしかできない人生でした・必然のような、そのような自分の歩いてきた時間・上滑りした人生を寂しい奴だったと思えるし、僕と言うのは僕の時間は砂に染みる水のようだった・浪費・報(むく)われない僕を塗り潰すような暴力的だったのですが、その内へ向かわせる僕の状態の暴力性を僕は被(かぶ)り続け・波で洗い流され続け・打ちのめされ続け・無力であり続け、僕は小さくなってきたのです・丸まってきたというか。


そんな内気で、小さくて、丸まった身動きの利かなかった寂しい生を白い(シロい)と表現し、猿轡(さるぐつわ)を噛まされ床に転がされてきていて、泣くこともできなかった。声を上げることもできなかった。ただただ黙ってきた。(※この辺の文章は心象風景で実際ではないです) 受け入れてもいないのに黙ってきた。


寒い部屋で火を起こし暖めてやりたい、過去の寒さに対して。僕のシロい部屋に対して。暖めて摩(さす)って、大丈夫だよ、元気を出して、一人じゃないよ、伸びをしたっていいんだよ、喋っていいんだよ、声をだしなよと言ってやりたい。これは過去との対話だと思う。現在の僕は過去の寒さを温めてやることができると思う。
 カウンセリング・先生の、地下室へ降りていく治療なら、僕は骸骨男(僕の地下室での分身)に寄り添って、一緒に毛布をかぶり、暖めたワインを飲むことができると思う。時間を共有してあげたい。過去の無力に対して。