カウンセラーの先生に会った。

平成30年1月16日 火曜日

映画:リトル・ブッダを見終わった。あまり面白い映画でなかった。一番印象に残ったのは、ブッダが荒行をやっていて、付き従った弟子が、ブッダが荒行を辞めると言ったとき皆離れていったところ。ブッダは川辺で船に乗っている人が竪琴の糸を張りすぎてもダメだし、張らないで緩んでもダメだ、ちょうどいい張り具合がいいのだといった時、自分の極端な荒行が何ももたらさないとわかった時の場面。
 この弟子が皆離れて行っても自分の道を進もうとしたところのブッダの気持ちの所に興味が引かれた。誰もブッダについていかなくなっても自分の道を歩み始めたブッダ。そこに惹かれた。

 今日はカウンセリングに行きました。


カウンセラーの先生に見せた文章:

よろしくお願いします。
 母が入院しまして、家の管理と父の面倒を見ています。
 僕は日中家にいて生協に出かけるくらいです。
 自分の生活が狭くなっています。ずっと最近は部屋の整理をしています。とても汚い部屋でこういう機会でないと整理できずにいました。だいぶまとまってきましたが、完璧までやりたいという願望はあります。

 カウンセリングで先生に僕は成長できた時によかったね、が少ないと言われましたが、それが今の課題です。何かをした時、部屋の整理でもここまでできたねと一度満足を入れたほうがいいのではないかと思っています。3秒間でも5秒間でも意識的に満足の時間を持つようにするのがいいと思っています。(まだダメだとか、こんなものと思っていつも終わることが多いです。常に結果・行動の終わりに否定を入れている)
 英単語を一個つかもうとし、少しでも捕まえられたら(覚えられたら)その時点で満足を入れてもいいのではないのかと思っています。僕はもっととか、それくらいでとか、父母の反応を自分のやり方にしてしまっていて、自分で取り組んで、自分のちょっとした成長に自分で意識的に満足を入れる、そういう機会を持つことが大事ではないのかと思うようになりました。



 あと、母のことですが、母がいなくなって、僕に自信がないのは母のせいではないのかと少し思っています。母は僕を認めることはなく否定の言葉を言う事が多かった、全部ではありませんが、僕の判断や行動はいちいち棚にあげられたというのがありました。だから母がいないというのはある意味いいのではないのかと思います。
 この間の病院面会では母は落ち着いていました。でも、父に比べると(父はテレビに依存していますが、こちらを操作しようとするところもありますが)父は感謝の言葉を言ったりしますが、母は否定の言葉が多く、僕の判断は否定されることが多かった。僕にとっては、母はあまりいい人ではないと感じています。


 話は違いますが、自分の取り組むことは、決めを入れなければならないと感じています。手芸は決めを入れないと製品になりませんが、家の掃除をしていて、何をやるのでも決めを入れて進めないとグチャグチャで終わっていしまう。片づけでも、物をまとめようとしないとダメだし、まとめたものをきちんとしまわないとダメです。僕はグチャッとやってきました。だから部屋が汚かったです。ここまで来たのは僕にとってすごいことですが、さらにもう少し詰めてきちんとやりたいです。完璧まで一度やろうと思っています。いまは80%くらいです。まだ余地があります。
 なにかにつけて、人間の生活は決めを入れてやらないと中途半端なままズルズルと行ってしまうと感じています。


これを見てもらいました。
 何かやったら満足する時間を5秒間でも持つようにする、まだこれしかできていない、こんなことがこんなにかかって、と否定の言葉を入れるのではなく、満足の時間を一動作ごとに持つようにすることの大切さはカウンセラーの先生も、そうだよと言っていただきました。
 ずっとやり続けると疲弊してしまう。まいってしまうから、掃除でもずっとやってもきりがないから、ここまでやったら休憩とかここまでで辞めるとかそういうのが必要だと仰(おっしゃ)っていました。先生に賛同して頂き、やはりそういうものなのか、ぼくのずっとやってきた、「これしかできていない」「これっぽち」といちいち否定を入れる父母の反応の仕方を自分のものとしてしまったやり方のまずさを認識しました。
 きょうなら、カウンセラーの先生に会えてよかった。カレーを作ってよかった。洗濯をできて良かったと、満足を持つようにしました。したつもりです、5秒間くらいでも。

 あと、決め、と言うのは先生にも質問されましたが、テーブルをマットに合わせて揃えて置くとか、シーツを畳むとき4隅を揃えて畳むとか、ベッドを直してから布団にもぐりこむとか(そうしないと布団がぐちゃぐちゃになる)、そういうことです。それの必要さを掃除をしていて痛感します。


 弱虫でいいだよ、の本の説明を先生にしましたが、僕は理解が悪いらしくうまく説明できませんでした。ゴリラの話です。ゴリラはオス同士の喧嘩メスが割って入ってなだめるということがあるらしいのですが、その喧嘩の上下関係をつけないやり方です。サルは上下関係を持ちますが、ゴリラはないらしいです。横関係で生活しているとか。
本を見ましたが、勝ち負けでなく、助け合う関係が良いのではないのかと著者が言っているように理解しました。共同作業とか、対等な関係という言葉が本にありました。
 他の人に説明するときに、僕の理解が成っていないというのがよくわかりました。僕はやはり頭がよくないのか、国語の勉強が足りないのか、理解が悪いです。本を読んできちんと説明できるようになりたいと少し思いました。


 今日のカウンセリングは持って行った上のプリントの話だけでした。
 あと、僕は顔が黄色い、あまり良くない表情らしいと指摘されました。最初に会った時と似ていると。確かに生活は自閉していますし、広がりがないです。そこは改善したいと思いました。掃除もある程度やったら次の日に持ち越すとか作戦でやったほうがいいと思った。やはりカウンセラーの先生とか外部の人間を入れたほうがいいらしいとは思いました。(自分の生活に)

<おわり>