1/6(Sat) 読書

1/6(Sat)

 林へ歌いに行った。翳りゆく部屋。3日目。母に対する憎しみを込めようとした。表現としては80%の合格点だった。子門正人のような、ビリー・コーガンのような潰したうたい方になった。何度もやってきているので歌い方に新鮮味はなかった。かなり表現はできていた。憎しみ表現としては完成に近いし、よかった。けれど、自分の心の感情としては表面に憎しみが浮いてこなかった。歌表現のみだった。心が伴わなかった。その点は残念。他の歌でも続けるしか感情は浮いてこないかもしれない。


・ 弱虫でいいんだよ、辻信一、ちくまプリマ―新書、

 読んでいる。狩りの所で、地元の地域の人は石にも動物にも草にも人間との付き合いのような対等な関係性で接していて、殺すことに躊躇はないそうだ。自分の所の来てくれたのだから、感謝こそすれ残念とは思わないと言う。残念と思うことは失礼だと。自分の手にかかって死んでいく命に感謝と尊厳を見ているらしい。アイヌ民族とも共通する関わりだと思う。(よくわかっていないけれど、文脈で、勢いで言っています)

 このちくまプリマ―新書、読んできた本に外れはなかった。この本も当たりだった。すごく楽しい。僕も強さには懐疑的で、過信する気はないので、弱いと言うキーワードで本が進むのは楽しい。中だるみあったけれど、今読んできた箇所はとても楽しかった。ナマケモノの話もすごくよかった。自分のぶら下がる木に、危険を覚悟で地面まで樹上から降りて糞をする。木にもお返しをするという、葉っぱを食べてばかりではない育てると言う行動が伴うのだそうだ。


・ 南洲翁遺訓、西郷隆盛

 この本齧っているけれど、自分が危機になったとき、かわそうと汚い手を使うのを戒めている。汚い手を使うことはかならず自分に返ってくるから、正当法の方法を取れと言う。僕は、今まで、最近を除いて、自分が不利になったら何が何でも守り抜く、汚い手でもいいから自分の陣地に入られまいと思ってきた、これが良くないと言われた。最近は汚い手を使うと言わなくても少し余裕があるから、自分の所を何とかも守ろう、入られないよう自分の陣地を固めているけれど、昔は余裕がなく我武者羅(がむしゃら)だった。正攻法で進めとのアドヴァイスだった。著者がものすごい人だから僕に当てはめるのはナンセンスだけれど、爪の垢でも煎じようとは思う。



・ 世界における人間、グルントヴィ

 は、ようやく読みやすくなってきた。今までものすごく硬かった。今のところは何とかついていける。身体の話が面白そうだと予想して期待している。グルントヴィさんには付いていきたい。


 読書は自分との対話でもあるし、知らない話を聞けて、おもしろくたのしい。