1/5 Fri いうことは何もない自由の利かなさ。

 今日は母に会いに行った。近くに大学があり、学生はそちらに行くが僕は精神病院に吸い込まれた。帰りもそうだった。寂しい気がするが、僕は精神病の純血種(父母ともに精神病)というありがたい一族に含まれるので、その有難さを噛み締めてきた。

 今日は首が潰れていたらしく、周りがチョロチョロしていた。僕はなるべく惑わされないように、しっかりと手綱を握っていたつもりだった。父母ともに精神病で、僕もそうだという重い現実を正面から受け止めようとしたつもりだった。


 ユニクロの新しいダウンジャケットを着ていった。ジーンズも新しくした。両方とも6・7年着ている。取り替えたくなって去年購入した。

 無印良品でも収納グッズを購入した。いっぺんに収まったり、きれいになろうとは思っていない。徐々に詰めようと思う。

 母は退院後どうなるか、主治医の先生の意見を聞いて決まるらしい。そういう段取りを病院の相談の方から伺(うかが)った。父の足取りも怪しくなっているし、高齢になると寂しい話ばかりになる。

 僕もだんだん自由が利かなくなり、父母の高齢の重さも加わって、世間並みの重さを抱(いだ)いている。なるようにしかならないと思う。僕としては日常を徐々に詰めていく方向で、雑用をこなしていきたい。

 歯切れが悪いが、重い、というのが率直な感想。楽しさや浮ついたものはどこにもない。淡々と歩を進める。その毎日の中にある。父は徐々に介護という言葉がふさわしい頼りなさの中に突入している。もう限界も近い感じがする。(家で面倒を見るのが)

 施設にデイケアに行った日は、たいてい帰ってくるとぐったりして、テレビを見て、やっとのことでベッドに潜ってくれると言う、そういう日を父はすごしている。父と付き合うのも大変だ。(床に寝ないように誘導する大変さがある。)

 
 明日は歌いに行きたいとは思っている。父のこともあるしどうなるか。10日のカウンセリングもキャンセルになりそうな気がする、そうする気がする。
 まったく自由が利かないなあ。ぼやくしかできない。ヨガは楽しみになっている。これは救いかも。