僕の堕落。成功の勘違い。


平成29年12月24日 日曜日




 こんにちは。リコーダーを3か月ぶりくらいで吹きました。同じ曲を14回くらい吹いた。春の小川。とても楽しかった。音楽は一音しか出せない、次の小節の音は出ないし、前の小節の音は続いた場合に鳴っている。今の一音を大事にすることで曲ができる。一音に表情をつけようと大事にしようとしてみた。
 あまり成功しなかったかもしれないが楽しかった。


・ネット防犯だけれど、僕は中継器を買ってしまった。端と端の真ん中に心臓部を置いたけれど、ドアの外まで電波を届けようと思っていた。
 実際にドアの外でスマホを操作してみると、ワイファイでつながった。だから中継器は必要なかったかも。


 僕は思い込んでいた。外まで電波を届けないと、と。実際は、動かす内側の機械までは電波は届かないといけない。でも、外にスマホを持っていくなら、それで操作するなら中継器は必要なかったみたい。

 これは僕の全般に当てはまる。僕は思い込んでいる。ダメだと。自分で決めつけている。ダメだと。僕の成功は、大多数の支持を得ること。そう音楽ならメジャーになること。


・稲森和夫、「成功」と「失敗」の法則、致知社、


では、成功とは世俗的なものではなく、魂を高めるものだとある。世俗的な成功をおさめたらゴールに来たと思わないで戒(いまし)めなければならないと。そこで勘違いしないようにしなと、とある、あったような。



 僕は、歌手になることはできるのではないか。メジャーは無理でも、地元の舞台に立つことで。それも歌手ではないのかと。自称かもしれないが。僕はブレーキを掛け過ぎている。自分で自分の腰を折り、首を絞めつけ、制限をかけている。
 歌の成功なら、前日よりよくなれば、それは成功かもしれない。稲森氏の考え方なら。



 出っ歯の、三山ひろし さんなら、NHKの朝の番組を僕が見ていて、高校生でのど自慢に出て鐘2つで挫折した。母子家庭のせいもありスタンドに就職した。おばあちゃんのススメで詩吟をはじめて、歌詞の大事さに目覚め、演歌の奥深さにも気づくようになる。詩吟という遠回りから歌手への道をまた歩み始める。



 何を言いたいかというと、僕はパブリックな成功を求めるけれど、林に2日間通ったのも歌の成功ではないのかと。1年ぶりくらいだし。怒鳴りはよくなかったが、振り返ると。僕は歌の成功を勘違いしているのかもしれない。世俗的な成功は僕にスター性がないので捨てたほうがいい。でも歌手にはなれると。一人の聞く人がいれば歌手になれる。

 このブログもそうです。読んで頂いていますが、アクセスは少ないです。1人でも来て読んで頂ければ、僕は打ち込み人として成功しています。アクセスを気にするのは世俗に力を入れているからかもしれません。多くの人に読んでもらうことを目標とするから。
 ブログの成功とは、稲森氏の言う、魂の磨き上げかもしれません。僕はそこがこのブログのセールスポイントだと思っているので、僕は成功者かもしれません。言っている時点で堕落していますが。



 稲森氏の言葉を借りれば、僕は成功を勘違いしている。僕は父母の件で成長しました。父母と深くかかわりました。父母は僕のイメージと違っていました。父のほうが善良で、母は変わった人です。カウンセリングの時と逆転しています。父母が高齢になったからなのか、僕が成長したのか。


・・・・・・・・ 今日は父とケーキを食べました。ひそやかに暮らしています。父の口にケーキを持っていきました。パクッと食べます。次の一口まで待ちます。また、パクッといってもらいます。待ちと行為の交互の作業です。父が咀嚼している間は待ちです。この時間、もう残り少ないかもしれません。父との思い出になるかもしれません。父は施設に行くだろうし。・・・・・・・・


 僕はまた、働く気持ちでいます。できるだけ早く。
 謡曲にも興味はあります。三山さんの話を聞いて脱線もいかなと。


 僕の歌の成功は、前日よりゲインすることにあるのかもしれない。それなら成功者になれる。歌手になれる。自分で決めつけ諦めるという、ブレーキのやり方。この方法、父母のやり方だと思う。もう脱げられるのではないのか。父母の衣服から。(たとえ)

 ユニクロでダウンジャケットを買った。6年前くらいのを、ずっと1着着続けてきた。母も入院したし、母はまだ着れると、購入に反対だった。もう自分で決めて行動していい。父母のブレーキはいらない、自由とかではなく、やりたいならやればいい。父母のブレーキはいらない。と思うが、深く刺さっている。父母の制限、ブレーキかけ、締め付けを僕は自分に対して自分でかけている。ロックしている。


「 :
 魂を よっこらしょ、と持ち上げ、磨き、変化させることが日課になるなら、僕はそれをやる手筈(てはず)は整っている。やり方も知っている。ただ日々行えばいい。でも、僕はやはり逃げ続けるかもしれない。腰抜けとして。それは自分との戦いになるだろうし、今までは負け続けてきた。真正面としての取り組みなら。

 自分を高めることが成功なら、僕はそれをできるはずだ。背伸びをしないようにしないと。いっぺんによくなろうとか、世俗を求めたりしなようにして。道具をそろえようとするのは、世俗の成功を求めて、背伸びをしようとしているから。僕は調子の悪い時は、毎日ネットで時間をつぶしてやっている。その辺も腰抜けの証(あかし)です。
: 」