追記追記
株式会社トキワ精神保健事務所にメールしておいた。
押川剛さんのところ。本で読んでいた。テレビも見ていた。
最後はここが頼みだ。月曜日がリミット。
追記:母にぶつかっていって、病院行こうとか、(僕と) やりあったが、母は拒絶ばかりして、僕を受け止めない。それも滅入った。母は僕を結局拒絶していて、僕はいくら母にぶつかってもどうしようもないと、これも、諦めにつなかがった。家を出たいとも思ったけれど、今家を出るのは、逃走だから、そこはやめておいた。最低な家の中。さいてい。dead.
03 F ☆あり
家に帰ると母が、またもやだれがどうした、こうだから失敗した、あれはああだ、とはじまっていた。そもそも、金曜日が祝日だったのが分からず、予定していた病院行きが潰れて、またもや元の木阿弥(もくあみ)になってしまった。
いい加減にしてくれ。一家3人、虐殺されてもしょうがないじゃん、そんなにグルグル思考の堂々巡りをしないでくれ、と言ったからか、父がぶっ殺すみたいな顔でこちらをみていて、こいつはどうせこんなやつだからどうしようもないんだな。母も、グチャグチャ病院行かないでこんなに繰り返して、どうしようもないやと、口を利くのも嫌になって、黙って、自分の部屋に引き上げ寝てしまった。
起きたら父がいつものように、お漏らししていて、四つん這いになって起きよと、指導して起こして(父は病気のせいで、起きる方法を忘れわからなくなって、いつまででも床にいたりする)、また寝ようと、今パソコンでこれを打っている。
☆・作業所マフラーは、目を飛ばしたのを、ボスの指導の下、手伝ってもらって、両側から糸を寄せ長めにとって糸を切り、同じ色の糸を結んで横に通して、さらに別の色糸を横に通して完成した。3色使いなので、2色糸を使わないと、目を飛ばしたのが直らないらしかった。
実はこの作業、「かけはぎ」、に似ている。ツタヤの宅配レンタルか、NHKのオンデマンドだったかで、プロフェッショナル「かけはき」を見たことがあったので、とてもノリノリで直した。楽しかった。僕は「かけはぎ」が好きだと思う。やってみたいなあ。地味で裏方で、もうかりそうもないけれど、やってみたいなあ。通信教育もいいなあと思った。
よくある通信教育は、一昔前、もうからないのに、儲かるとうたい、生徒を募っていた。僕は貧乏になっても、やってみたいなあ。大阪に専門店があるんですよ。プロフェッショナルの舞台になった店。雇ってもらえないかなあ。いつか。
僕のマフラー「かけはぎ」は、糸が太く、目も粗いので、僕みたいな初心者には打ってつけだった。
男ものなのでフリンジは付けずに完成。6センチで完成となった。そのあとは、着物のいとほどき(ここでは着物ほぐし、という)をまわしてもらい、やっている。これもここでみっちり仕込まれた。一生懸命やりたい。
前半、中盤は頑張った。こうはん、着物ほぐしになってから少しペースダウンしてしまった気がする。久しぶりだったので、慣れなかった。
・けさ、自転車でゴミ出しに行き、3個も持っていて、落とせばいいのに踏ん張り、ハンドルを切ってしまい、転んだ。その時の足を挫(くじ)いたのが、作業所帰りに痛み出して、引きずった。寝たらよくなっていた。
・調子の悪さは、帰りの交通機関で、なくなっていた。変な目で見るやつはいても、危険信号は消えていた。僕はかなり楽な状態で帰ることができた。ありがたい。昨日は、最低だった。明日はお休みです。織り教室に行く予定。
家の中はグチャグチャ(家族関係、母のこと)、楽しくないし、疲れるし、またどうなるんだとも思う。最近の色は、ブルー。
11/2
作業所へ出かけた。最初頑張り、中だるみ、最後本気でやった。そういうふうにできた。
マフラ3色青色糸使いできた。3本、縦ライン目を飛ばしていた。緯糸を入れないといけない。ボスに失敗したと言った。あした、どうなるかわかると思う。今日は、捨て織りを終えて、織り機から外して判明した。かっこうわるかった。
みんな本気で、命を懸けてやっているのが、自分がやってみてわかる。
行きの交通機関で、隣に座った男が、肩と肘、身体右半分で、ぐいぐい押してきた。ほとんど暴力。押し返した。こちらは負けるとやられるので、押すのをやめるまで押していた。あれは暴力だった。暗い目をした、58歳くらいの男だった。黒いいでたち。
朝からバカヤローだった。調子が悪かったのが、帰りにわかった。帰りも狙われていた。朝のゆっくり歩くも、一人怪しいのがいた。
ろくでもない日だけれど、楽しい日だった。(マフラー完成) あとは、フリンジをつけて終わり。
帰ってきてからも、雑用で終わった。もう寝ます。朝も早いし。おやすみなさい。
11/1(Wed)
作業所へ出かけた。もう休めない。母は金曜日に病院に行くことになっている。作業所は平和だった。
追記:そういえば、物を持って行ったところの秘書はきれいな人だったな。60歳くらいで、美人ではないけれど、その人の華があった。僕はいいなあと感じた。
2017/10/31 Tue
母の主治医向け文書::
患者の息子Aより::
母がこちら側に帰ってきました。話も通じます。被害者意識は強いですが、安定しています。ここ何日かで受診してくれそうです。意思疎通ができます。
先生の診断を差し置いて恐縮ですが、母は統合失調症だと思うようになりました。
母の投薬をよろしくお願いします。ありがとうございました。
昨日は、母はもちを焦がしていました。少し家事をこなして、ほとんどやらずでした。
今朝は味噌汁を作ったり、完全にこちら側にいます。安心しました。
kurage0147130:
今日も有給をもらっていたので、家の問題をやった。上の文章にもあるように、母は急性期を脱して普通に戻った。
金の問題をやりたいというと、急ぐことではない、自分がやる、みたいな話だったのでそれは止めた。母の心配事の一つ、周りの樹を切った。全部で1時間半もやっていないと思うけれど、慣れない作業でてきぱきとやった。(変な文だけれど、こんな感じだった)
あと、自分の部屋の整理をした。せっかくの時間なので片づけた。病院に朝予約を取り3:15の約束だった。それまでの時間でやった。
2:10くらいに出発し、2:45くらいに着いた。
先生に会って、文章を渡して、こちら側とはどういうことだ、と聞くので普通の状態ではなかったのが普通に戻ったと言った。急性期だったと思っていると言うと、先生の顔色が変わった。険しくなった。
先生が喋らないので、運転免許のカギを隠したけれど、いつごろから運転できますか。というようなことを聞いたら、
そんなの会わないとわからん、そもそも運転免許の話を持ち出したのはお前だ、みたいなことを言われた。確かに、先生に免許のことを聞いたり、答えさせようとするのは変なので、すみませんと頭を下げ、ありがとうございました、と出た。何か言われるかなと、最後は思ったけれど何も言わなかった。
この話にはおかしなところがある。こちら側と聞くまで、先生は母のことを急性期と見破っていなかった。老化くらいに思って、軽く見積もっていたのかもしれない。でも、僕は確かに、男が隣で寝ていると母が言ったし、その前後の状況も書いておいた。見破れない医者は誤りを犯していたのかもしれない。僕はえらい大変だったぞ。
今日は、Horowitz in concert : recorded at his 1966 Carnegie Hall recitals の
Debussy: L'isle Joyeuse ドビュッシー:喜びの歌 を聞いた。ものすごくよかった。
あと、
椎名林檎:闇に降る雨
を聞いて溜飲を下げた。くそじじいとくそおっかあに振り回されえらい疲れたぞ。糞喰らえ。といったところだった。
こんなことをできたのも、日常に復帰できたからだった。日常はいいぞ。非日常はつらかった。
あとは、約束させた金曜日に母が主治医の所に行き、服薬してくれることを望む。母がしたように、やなないなら、僕は家を出ると言った。とにかくホテルに行くし、そのあと、アパートを借りて出て行ってもいい。立腹するぞ。
youtu.be
音が悪いです。CDはなんぼいいかわかりません。
バカヤロー。
一応叫んでおかないと収まりがつかない。完全に穴に落ちて、日常に復帰できた。
簡単に穴に落ちるし、他人事というのは世の中にないのが分かった。他者のやることは自分に関係している。それを切るのは誤りだ。他者の経験は全部自分とつながっている。なんでもやってくるし、何でも起こるし、どうなるかわからん。苦渋を飲んだ。
かなり揉まれて、磨かれた。自分直しには良い経験だった。財産にはなった。僕も別のステージに立ちつつある。日常に戻れないかと思った。母は、呆けていて、ずっと向こう側で、ずっと介護が始まるのかと思った。どうなるのだと思った。金の問題も重くかかって、一時はかなり暗かった。暗い目になった。僕は幸せな、おめでたいやつだ。戻れるという、ラッキーをもらった。
死ぬ気で生きないと、この世はいけないらしい。そういうものらしい。テーラーSG氏に見習わないといけない。初代唯一無二の影響も大きい。
youtu.be
これも、CDいいぞ。spotifyにはあるのかな? あるならそちらのほうがbetter butter だろうね。
お前は、カエルの置物をおいているからダメなんだよ。えっ。
これで溜飲を下げたい。