菊川多賀(画家) 写真掲載/ ×10-02 Mon/01/他者を愛する・

〇菊川多賀:菊川多賀展 生命の群像、北海道立近代美術館、1987
(日本の古本屋で入手可能)


 37 ひとつの記録(菊川多賀)、昭和52年(1977) 180.5×281.0 第62回院展東京大空襲の様子を描いたらしい

菊川多賀 ひとつの記録



 52 道標(菊川多賀) 昭和59年(1984) 180.5×187.0 第69回院展:上の絵がモノクロで掲載されていたので、カラーのものも載せてみた。本当は上の絵のカラー刷りが見たかった。

菊川多賀 道標


他の人のブログで、僕のよりいい写真もあった。

guthries.exblog.jp



10/02 Mon

 今日は調子が悪いという口実の(自分内)楽園に逃げ込み、ノロノロやった。皆の不興を買ったと思う。スタッフもまたかとおもわれたろう。

 作業所の一員としての自覚がなく、周りに甘え、依存しているのかもしれない。自分が集団内の一人をやり、その一人を責任を持って任されている、その気持ちがないからか。

 見るべきところのない、迷惑をかけただけの一日だった。



10/1 Sun

 裂き織りは見るべきところなく、全くのどん底だった。失敗フォロー小細工もしてみた。地べたを這いずり回った。

 掃除機、箸洗い、ゴミ捨てはその分頑張ったつもりだったが、どうだったのか。
 
 直虎、虎松の日の本一の草履番はよかったな。そうこなくっちゃ。一番低いところから、工夫と努力で登っていくのだろうなと想像した。

 自分の抑圧を愛することは、他者を愛することにもつながるかもね。妄想かもしれないけれど。自分のいろいろな部分、自分の中の他者を嫌っちゃだめなんだろう。まだ他者を嫌うところがたくさんある。精進しなくっちゃ。




「ワラジムシ君の友達なんだよ」


 ワラジムシと戯れていたら、鳥さんが頭をコツンコツンと叩いた。痛いなあと言ったら、気のせいだろうという。お前が叩いて痛いのだから、気のせいなんかじゃないと言ったら、文句を言うなと鳥の野郎に説教を噛まされた。あの鳥野郎と悪態をついたら、空まで飛んで来いよという。

 それで羽ばたいてみたら、宙に浮くんだな、これが。バタバタ羽ばたいて、鳥の頭を拳でこっぴどく叩いてやったよ。この石頭、お前の頭は硬いなあと言ってやったんだ。空の上からワラジムシに手を振ったら、ワラジムシ君、笑っていたよ。僕も微笑み返したんだ。僕とワラジムシ君は友達なんだ。君と一緒に空を飛びたいな。ワラジムシ君も空においでよ、と呼びかけても、笑って足を振っていたよ。イヤいいんだと。

 空の太陽は暑く僕の羽を焼き、首に日焼けができた。どんどん羽ばたいて太陽に向かっていこう。どこまでも羽ばたいて、身体が焦げるまで太陽に向かっていくんだ。熱く暑く、こんがり丸焼きになるまで飛んでいこう。僕の丸焼きは、ワラジムシ君の胃袋を満たすだろう。ああ、僕は焦げて丸焼きだ。おいしい、肉の塊さ。ああ、僕は焦げていく、落ちていく、消えていく、どこへ行くのか、わからない。ぼくは消えてなくなる。ワラジムシ君、君は僕の親友だったよ。忘れないよ。ああ、友よ! 僕を覚えておいておくれ。僕の味を、僕の旨さを。忘れないでおくれ。君が覚えていてくれれば、それでいいんだ。君は友達さ。

(解説:たぶん性欲だろう。太陽に向かっていくのだから)






平成29年9月30日 土曜日

〇(自分の中の他者を愛することは、自分を愛すること)

 作業所で、女性のことを嫌だなと思った。伝わったと思う。傷ついて僕を嫌ったかもしれない。当然だけれど。



 僕は、自分の中のその女性を否定していた。それは、自分の中のその女性という部分を否定する、自分を否定する行為だ。他者を否定しているようで、自分を嫌っている。

 僕は、自分の中の他者を好いたほうがいい、好きになろうとしたほうがいい、と思いついていた。


 けれど、このことを考えながら地元を歩いていて、他者というのは、僕の考える架空の他者ではなく、利害関係のある他者を愛することではないのかなと思った。




 詳しく利害関係のある他者を言うと、僕を嫌いな人、僕を攻撃したいなあと思う人、作業所の人、親、歩く・交通機関で僕と触れ合う人、そういう、好き嫌い憎しみなどを伴う、直接の関係者を愛そうとすることが、自分を愛することにつながると思う。利害関係があるから難しいけれど、それができないと、僕は自分で自分をスポイルし続けることになると思う。

 他者を愛せないのは、自分を愛せないことにつながると思う。





・作業所の裂き織り、もたもたしながらもセッティングを終え織り始めた。格好良くなく、ボロッちかった。





 今朝の公園でのゆっくり歩くは、お腹に違和感があり、それを愛そうとした。そこから他者を愛するというのも生まれた。お腹の違和感は異物だ。排除したい。でも、自分のものだから愛するしかない。逃げることも誤魔化すこともできない、徹底的に向き合おうとするしか解決策はない。逃げることは滅ぶことだ。

 作業所で、ちょっと違うなと思い、自分の頭をペニスだと言おうとした。そしてちょっと違うと思い、お腹の異物をペニスだと思おうとした。そうすることで解決しようとした。どちらも成功せず。

 お腹の異物をペニスと思い愛そうとする手しか思い浮かばない。抑圧に対しては。