ボランティア・カウンセリング・集団の中の自分

ゴッホ(vincent van gogh)
の絵あった。拡大できる。

草むらの中の幹(Boomstammen in het gras)、1890、クレラー=ミュラー美術館(kroller muller)、
krollermuller.nl





平成29年9月27日 水曜日


・ 動物愛護団体ボランティアに行ってきました。

 前回、きちんと掃除せず帰ってきたので今回は猫を封印して奉仕のみに特化した。

 一緒にやった女性ができるひとで突っ走っていた。僕もついていこうとした。今回のコンセプトは、ボランティアはプレイルーム付の喫茶の仕事の中核の仕事だ(営業中ではなくてセットアップとして)、それをきちんとまわしてボランティアは担(にな)うのだ、との掛け声を勝手に自己内に作りやろうとした。


 今回ボランティアきつかった。終わったらどっと疲れていた。今まで慣れようとしてきたし、遊ぶことを中核にしようとしてきたのを作業が主で、猫遊びはなくてもいいとしたので、作業中心だった。これからも猫盛り上げ、人間活動の作業が中心、喫茶のための貢献、喫茶業務の中核だ、と作業中心でやっていきたい。


 ここまで書くといい人みたいだけれど、前回小物を倒して、今回掃除したら猫のしっぽの折れたのが落ちていた。僕が壊したやつだ。今回謝らなかった。次回謝るかも。僕は商品を壊していた。次回以降も作業中心で喫茶業務の下支えをしっかりできるようになりたい。僕は雑用を通して、店を回すという経験をしている。この滅多にない機会で学びたい。それを通してしか、猫しっぽ折りの償(つぐな)いはできないと思う。






・ カウンセリングをしていただいた。カウンセリング中、僕の「おんな」を読んで頂いた。感想はもう少し技術がないとみんなには読まれないだろうという正確なものだった。ただ、僕が性を中心にとらえようとしているのは、性を描けるようになったのは前進だったと認識を共有した。


 カウンセリングの先生には、男の僕と性について話すという負担をかけ、僕の性のことについて話題にして頂くという、僕のための時間を作って頂いた。


 先生の見解は、女性に性的に興味を持ち、盛り上がるのは健全だと。石鹸天国はNGという僕と同じ意見だった。でもこれ、僕は選択肢として含んでいたけれど、先生は除くことを望んだ。搾取、金の流れ、女性の隷属があるからという考え。僕も賛成した。


 彼女を作れという、でも今の僕は成長途上なので、女性と付き合うのは早いかもと、猫ボランティアくらいがちょうどいいだろうという意見だった。




 性のことについて話していただいて、聞いて頂いて、橋本治:ぼくらのXESを僕が持ち出した。健全な本だろうと。持っているけれど読んでいないといった。帰ってから読んだら、よさそうな本だった。正面突破の健全な性の明るい本みたいだ。性教育がはやったころの本だろうと思う。


 アメリカには、性の健全な部分があるとの先生の意見だった。日本は暗いと。僕も、インターネット検索の商業・性は暴力、男性優位、攻撃、虐待を含んでいて参考にならないと思っていた。先生は、写真集(明るい内容のもの)などを媒介にして、想像力を使い、健全な性を育むのがよかろう、女性に性欲を持つのは、純粋な場合よろしいだろうというような意見だと理解した。




 僕は、ノルポ(暴力)と性がゴチャゴチャで、健全な性という発想がなかった。女性に性欲を持つということ自体に後ろ暗さを持っていたけれど、それも性についての明るい発想がなかったのもあったのかもしれないと、先生の明るい性を聞いて思った。


 今日のカウンセリングは、認知の転換みたいな内容らしかった。EMDRはいっさいなく、必要もなかったろう、僕の考え方を導いてもらった。先生には扱いたくない内容かもしれないけれど、強いてしまった。




 昨日見たクローズアップ現代リリーフランキー障がい者の性についても少し話した。映画のモデルのNPO代表の方の、障がい者も性欲を持つという当たり前のことを、声に出して社会に開こうという活動、健全さには、カウンセリングの先生も賛同したらしかった。テレビを見て、皆普通の人で、信頼できるなあと感想を持った。性について悩んで、実践して、もがいて、苦しい問題だけれど大事なことなので軽んじられないと思う。


 カウンセリングの先生に性について僕を扱ってもらったのは有難かった。ありがとうございました。(!読まれていることを意識して)

 






・ ユニクロでグレーのシャツを買ったのだけれど、チェックというか格子のグレーのもあった。どちらにしようか迷った。着たいのを買った。グレーのシャツ。

 迷ったのは、格子のものは社会・作業所の中で皆に軽く僕を認知してもらえそうだったから。気安く思ってもらえると。グレーのは外出着として着たいという格好つけの部分を含んでいた。グレーなので作業所で着るのに当たり障りないとは思うけれど。


 何を言いたいかというと、皆の中での僕を格好つけるか、気安い存在として扱ってもらおうという、皆の中での自分という立場、どちらが大事でどちらを取るかという問題。今回は格好つけた。


 自分にこだわるか、皆の中の気安い自分を取るかという選択。カウンセリングの先生ならどう考えるのだろう。僕にとっては難しい問題。こういう発想が出てきたこと自体、前進だとは思う。


 集団の中で、気安い存在として出現していこうというのは悪くない発想だと思う。これが僕のこれから目指すべき方向かもと思う。でも、格好つける、自分に執着する気持ちもまだ残っている。


 少なくとも、集団の中で、自分は捨てる方向も大事だと思う。チームプレー。フォア ザ チーム。この辺の問題、普遍性があってどう考えればいいのだろう。僕はどうしたいのだ。集団の中でやっているのだから、気安いを優先するのは正解だと思う。
集団の中では気安い、をやって個人としては格好つければいい。割り切り作戦もありかなと。そうすると、衣装バックパックが必要。かもしれない。



 でも、自分に執着するのも古いかも、とも思う。それだけ、集団の中の自分という発想が大きくなってきているかもしれない。皿洗い、ゴミ捨て、掃除機かけ、ボランティアと、成長させてくれるアイテムを手にしているので、続けていけば回答はおのずと出るかも。



・ 昨日ゴッホの検索かけて、画像がいいのがあったので、乗っけた。

vangoghmuseum.nl



ゴダール の ブルーレイ 買うのはいいけれど、攻撃をどうとらえるか。男の特権みたいに執着するのもどうかと。キューブリックも暴力を中心に据えていた。共通性はある。と思う。

 ゴダール、買わないで卒業という手もある。

・孤独な人が認知行動療法
素敵なパートナーを
見つける方法

デビッド D.バーンズ:星和書店


 先生の本をまた読みたい。(途中で投げ出していた)