8 Tue /7/6/4/雑記/書評紹介

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 主な活動場所 Seesaaブログです。
 
・ 作業所では、カレーが出た。平日の人が多い時の、プラスチックの容器。油がついて黄色く困難が予想された・皿洗い。

 気分は沈んだが、取り組んでみて、容器に洗剤をかけティッシュで拭いて汚れを取り、洗った。スプーンは3回くらい洗った。鍋はボスがやってくれるというので頼んだ。

 困難だけれどトライして、何とかしようとあがいて、困難もいいものだと思った。越えることができた。少し自信になった。


・ 先輩方は、先行しているというので、威張る所があり、そこが嫌でもあるけれど、僕の立場はぺーぺーなので、頭を下げなければならない。そいう関係になっている。後輩は先輩に筋を通す。これが掟(おきて)だ。

・ 直虎は、政次が「俺が地獄へ行く」だったかのキメ台詞を吐き、歌舞伎のように見得を切っていた。

 そのようなものだ。よく話が噛み合っていないが。

 明日は朝が早いので、21:00に寝ます。




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 作業所では、スタッフが片手鍋に水をくみポットに入れていて、それを見ながらそういう仕事もあるのかと。

 まえにボスに聞かれた、土曜のごみ出しはあるのか。に反応した形で、びん・缶・ペットボトルのごみ出しを女性に習った。ラベルを剥がしキャップを取り、住民用のゴミ捨て場に入れに行くというもの。

 僕のできること、作業が拡張されおもしろかった。これから続けると負担も増えるが、おもしろくなるかもしれない。

 
 ツィマーマン(ツィメルマン)のピアノは感情というか感覚的だと理解しているけれど、キーシンキーシンの理解するショパンを弾いている。どういう理解で取り組むか緻密に組み立てて作っているのかなと想像した、というか理解したけれど正解か? 抑制が効いているというか、理解力で弾いている印象を持った。

 ソニック・ユースのデイドリーム・ネイションをyoutubeで聞いている。知っているバンドだったけれど、こういう感覚ありか、と感じた。楽しげな音の感覚とやり方だなと思った。難しいことなしに、影響を受ける。(僕は難しいことは無理だ。)




6 Sun



・・ seesaaうつマインドフルネス ブログで活動しました。



・ 作業所では、裂き織りが始まった。面倒であり、やりたくなく、逃げ出したくもあった。

 でも始まってしまえば、古い布を使う、貧乏臭い僕にピッタリの泥臭い作業で、頑張りたい。逃げたい。やめたい。他の人に代わってもらいたい。

 きちんと注意を目配せし、しっかりしたものにしたい、とも思う。

 支払うべき作業で、支払うべき所にエネルギーを注ぎ込み、毎日支払う。それが仕事らしい。やめたい。でも頑張ってしまうだろう。



・ 街には、ねーちゃんがたくさんいる。何考えているかわからん奴もたくさんいる。お隣さんとか。




4F

 ymo,music plansの坂本の歌が格好よく、歌詞を印刷し、グーグル翻訳に張り付けて意味を大雑把に理解した。(辞書を引く気力がない)

 歌ってみたけれど、一本調子になる。怒鳴るは得意だった時期もあるけれど、僕は自分が歌はうまいと思っていたけれど嘘っぱちで、歌い分けられないことがわかった。調子がよくなっても、歌にはあまり期待できないみたいだ。自分が思ってきたよりかなり下手糞というのが正解らしい。大正解。ピンポー~ン。




 作業所は、あまりよくなかった。自分の調子の中ではいい方なのだけれど、いまいちだと感じた。走れていなかった。



本題


 昨日のseesaaブログのように、自分は無力感で、周りを理解し、無力感で考え、無力感で自分を作っているという見方で自分の思考の声を理解しようとした。ある程度成功をおさめたと思う。


 僕が自分だと思ってきた、内なる声・思考の声は無力感で骨組みされていて・核になっていて、そんなに軸足を置くべきものではないらしいと、うっすら思った気がする。無力感で自分というものをコーティングし、健全な見方を育てられてきていない、袋小路の感じ方が土台になっていて、だから出られるわけがない。



 内なる声・無力感という大きな見方で自分を解体し、理解し、その見方でネガティブ思考を納めると、僕って本当は何なのだ? という、ラッキョウの皮剥きみたいになりそうだ。自分が思ってきたのは、無力感というトラウマのフリーズの一点に、足の体重をかけた見方で、そこを良く捉えて、健康的な自分が作れるスペースを開ければなあと理想を思う。



 自分が病んだ力点に重さを置いているから、そこから軸足をずらして、無力感と名前をつけて眺めてしまえば、まわりにスペースができてくる。だから健康的な自分も生まれるのではという楽観です。






8/3(Thu)

 身体はトラウマを記録する の書評を読み直し、打ち込んで EMDR の大切さを再確認した。

 母親に食って掛かっていた幼稚園の時、人のせいにしないで と言われ攻撃するのをやめたとき、僕はフリーズして動けなくなったのだと思う。これを取り上げてもらわずしてどうするというくらい、最初からやってもらえばよかった。まだやってもらっていない。

 自分の中では、トラウマというほどではなくても、動けなくてフリーズしている状態、固定してしまっている、とは言えると思う、そういうのがたくさんあると思う。


 今日は作業所ではパッとしなかった。皿洗いは普通だった。着物の糸ほどきは走ろうとはしたし、走れていると思う。部分的には。

 スタッフの受けは悪かった。男として葛藤しているので、いまはしょうがないと思う。(女性スタッフ)






・ 北海道新聞夕刊 2017年?月?日 2面、「山崎夏生のスポーツ(プロ野球審判技術委員)」― 才能って何だろう? 「好き」という情熱を持続

引用:



~そう、この「好き」という情熱を持続できることが才能なのです。実は能力の差などそれほど大きくはない、できないのではなくできるまでやり続ける粘りがあるか無いか、なんだとふに落ちました。


 「建築をとうとうと語るやつなんざぁ弟子にしないよ。とにかく一日中、木に触っているのが好きだ、ってやつがものになるんだ」と語ったのは宮大工の棟梁(とうりょう)・小川三夫氏。~



(kurage0147130):

 僕はファッションセンスがあるわけではないし、仕立ての技術も、デザインもない。

 この人の言うところの、布を触る感触が好きだ、とは言える。だからいまの作業所に入ったのかも。皿洗いが苦にならないのも、水仕事が好きだからだ。(酒ではないよ)

 この人の言い方で自分を振り返り、自分に当てはめて思った。


(・)
 サンタフェ宮沢りえ この本をめくって、祝福された本だと思う。今はめくることができてうれしい。トーンが底抜けに明るい。裸も景色も透明感があり、日差しがあり、歓喜を表現している。天使を見ているようなものだ、というと大袈裟か。

 写真集という重量感と紙の質感もいまはまだ気持ちがいい。何年かしたらときめかなくなるのか。





8/2(Wed)



こちらで活動しました。

kurage0147130-2.seesaa.net


ヒバの枝を払った。2時間くらいやって、まだやる必要はあったけれど、やる気が失せて打ち切った。

今日は休みの日でどこへも行かなかった。おはぎとスイカを食べ満足した。(スーパーへは自転車で漕ぎ漕ぎ坂を上ったりして出かけた。坂は勢いを載せながら漕ぎ上がった。坂バカにあこがれる。)