反省の訂正 /屈折(若い時に振られている)

7/18 Tue

 まず、女性に振られた件。振られたことやモテないことにこだわるより、何とか女性関係を作れないか、そちらを心配するというか、考えたほうがいい。

 そして、今日は作業所でずっと、僕はレベルが低いと反芻(はんすう)を続けた件。実際に、新しく織りを始めた人が、かなりうまかった。その人は絵もできるし、いろいろな能力がある人。でも、僕よりうまいのじゃないかと思えた。
 他にも織りをやっている人が何人かいる。そして、洋裁のミシン部門の人たちもいる。

 僕は出遅れていると感じた。実際に、僕はレベルが低いと思う。なにをやらせても。それは正しい。でも反芻は正しくない。

 
 劣っているなら、良くなるように考え実行しようとすることだ。どうすれば裂き織りをうまくなるか考えること。そういう使い方をした方がいい。反芻はバカだし無駄だし、害がある。反芻する暇があったら、前を向いて、どうやって改善できるか実践した方がいい。




7/17 Mon


 作業所の若い女性に絡んでいた。態度ではなく(実際はやはり態度だった)、気持ちの上で執着し相手に絡んでいた。相手はすごく気持ち悪く、腹立たしく、鬱陶しく、糞っ垂れと思っていたと思う。これは最終的にきょう決着がついたけれど、相手は本心をおくびにも出さず処理してくれた。ものすごく大目に見てもらった。若い女性が爺に付きまとわれ腹立たしかったと思う。パソコンのクリックの音とかで絡んでいた。


 作業所では、パソコン作業・棚卸のデータ入力もやらせてもらっている。

 ずっと女性に絡んでいて、変だなと思った。なぜ若い女性に絡むか。前に書いたのと同じで、自分の青年時代に女性と付き合えなかったからだったのではないかと思った。決着は、僕は女性に振られたという処理で終わった。


 まず、この間の高校時代の、15歳の時の好きだった女の子にバスの中から手を振ってもらって、僕は応えられなかった話。僕は手を振りたかったけれど、この時病気の前駆状態のため女の子に意識を向けて付きあったり、話したり、コミュニケーションを取ることは不能だった。
 僕はこの女の子のことがものすごく好きだったので、ショックも大きかった。自分で自分の首を絞めた。


 この話が今の作業所の若い女性に被(かぶ)ってくる。僕はこの時の好きだった女の子の処理が未処理だと前回から気づいていた。これをまた作業中振り返り、これは、「女の子に振られた」と処理しなければならない出来事だと改めて気づいた。ただ、無念だけではだめで、自分の首を自分で締めて付き合えなかった、応えられなかったということは、「振られた」と処理しなければならない問題だと気づいた。

 この「振られた」と処理したことで、作業所の若い女性に向かう気持ちが潰(つい)えた。僕は、15歳の高校時代に女の子に振られ挫折し、屈折し、終わっていると。




 となると、中学の時の、好きな女の子に友達が告げに行き、友達でいましょうと言われたのも、勝手にやられた話だったけれど、「振られた」で処理する件だし、


 大学の(地方の10流大学)女の子、僕と同じ病気を持っていたけれど、この子は2年で完治。ぼくはずっと背負ってきているのでだいぶ引き離された、うらやましい子だった。この女の子に、良くなって離れて行ったので、文句の電話をしたら、もうかけて来ないでと言われた。それ以来終わった。この件も「振られた」で処理できる。


 僕は好きな女の子と付き合うことが一度もなく50歳まで来たわけで、かなり屈折し、寂しい人生を送り、負け続けてきた。僕は敗者であり、負け犬と言える。若いときに、女の子に振られ、一度も思いを叶えられず、終わってしまった。そう言える。ここをしっかりと踏まないから、若い女性に絡んだ。迷惑をかけた。爺の老醜をさらした。非常に醜く、見苦しかった。