カウンセリングEMDR 7/12 Wed

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7/12(Wed)
 カウンセリングEMDR


 今日はカウンセリングの先生の治療を受けていた時、先生のことを心理療法家だなと感じた。
相手の存在をEMDR
(先生が手を左右に動かし振り、それを僕が眼で追って治療になる:心の未整理がEMDRで整理されていくそう。眼で手を追って、どう感じたか、何を思っているか自由連想法でターゲットにしながら進めて行く。ぼくの説明下手だな。)
を受けながら感じていた。

 こういう関係を持ったのは初めてだった。今までは、お姉さんという感じで受けていた。相手の存在感も希薄だった。


 ペニス、男、父、抑圧のようなキーワードから、治療は始まり、じつはどうだったか忘れた、僕の家族は生命感が希薄で、白い病院の閉鎖病棟にいる人達みたいだと話した。

昔、掲示板時代(掲示板に投稿していた)に「シロい心地」というタイトルで書いた内容があった。その白いイメージがうちの家族の動きのなさ、消極性、停滞感を表している。


 そしてサンショウウオが風呂の排水溝から出て来るイメージとか、前の時の蜘蛛のでかいのが部屋にいるイメージとか、蛇のようなのが蠢(うごめ)くイメージは、生命感があるとEMDRを受けながら思いました。

僕は地下の不穏な動きだと、抑え込んでいる抑圧を思っていたけれど、困った存在というイメージではなく、その逆の、白い動きのない静的な家族・僕も含むに対する反対の動き、動的な存在がサンショウウオたちだなとなりました。だからサンショウウオや蜘蛛は嫌うのではなく、身近で助けになり、味方であり、歓迎されるものかもしれないと。



 この静的と動的の対比のおもしろさと、サンショウウオたちに代表される動きのある存在がキーになるかもしれないと感じた。でも、この壁は重い気がする。部屋に蠢いているイメージのこれらはたまにしか出て来ない。そして、僕はこれらを抑え込んでいる。味方であるけれど、僕の意識の上では敵というか、隠そう、出て来ないでいてもらいたいと思っている。この辺は今日のカウンセリングで塗り直しは少しできた。