11 Tue /10(りっしんべん)生 への願望/9/8/愛くれ甘僕・逆回転

11 Tue

 今日も僕がばら撒いた女の子が好きだとか、フェイントでドアを閉めてしまったことに対する、否定交流は作業所であった。これは最近続いていること。ゲームはやらないことにしているので付き合わない。

 他の人を好きになろうというのを再開した。この間もそうだったけれど、他の人を好きになろうとすることは、その人の存在に関わるので、マインドフルネスの存在モードでの活動になっていると思う。かなりポジティブで前向きな活動だ。これをすると、周りがどうとかあまり関係なくなる。自分がどうしたいかに専念することになる。そして前にも書いたけれど、他の人の存在を観察したりして、関わりが大きくなる。

 これができる日なら、かなり前向きに生活していると思う。昨日は一昨日はそんな余裕はなかった。今日は気分もよかったし、楽に過ごせる日になった。ありがたいことになっています。



・この間、ストールを完成させた。その後、裂き織りのバッグ用に裂き織りをしている。古布で、他で使わないような布を割いたもの。それをバッグのアクセント・正面に持ってきてバッグに他の人が仕立てる。


 他の人は、織ったりしているけれど、人気のない裂き織りを僕が担当している。織りではミスが多いし、あまり戦力と思われていないかもしれない。できることをして、できることで満足しようと思っている。何でもやれば道はできるし、その中での楽しみはある。できる裂き織りをうまくなろうとしている。織り教室でも次回やることになっている。

 織り教室の先生にもらった着物をほどいていて、裂き織りの糸を作ろうとしている。白い着物で、松が描かれている。ちょっと黄ばんだりしている。裂き織りは下手なので、これで練習させて頂こうと思っています。


・ 明日はカウンセリング。1週あいだを置いてのカウンセリング。いまのところ進展がないので、不発の可能性が高いと踏んでいる。

 きのうはyoutubeローリングストーンズを聞いた。懐かしく、すごくて、歌ったみたいと思った。







10 Mon
 シャワーから出て洗面台で白昼夢を見た。風呂の排水溝からサンショウウオのようなのが出て来るイメージ。抑圧の黒いものだと思う。ただそれだけ。ちょっと生々しく、気持ち悪くもあった。




10 Mon

 今日は首の潰れの下の部分で、明日は伸びると思う。けれど今日は皆の受けが悪かった。反感があったし、交通機関では敵視された。



・ 全く進展がなく、同じことを書くしかない。ぼくのペニスがキーワードになっていて、父のペニスが関係あるのか、僕自身のペニスが問題なのかハッキリしない。けれど、ペニスから逃げているのは確かで、男とくくれる内容らしいことは、皆の反応から察しが付く。

 だから、僕自身の傷なのか、引っ込んでいるだけなのかよくわからない。どうやって取り組むことが前進になるのか見当がつかない。ペニスイメージを見つめることはする。けれど、何が問題なのか皆目わからない。自分の敵がどこにいるのかわからず対処路療法で急場をしのぐのが続いている。

 そもそも、ペニスから逃げるって、よほどのことがないと起こらないと思う。場面はあったはずだ、逃げるときの。父は関係あるのか、母なのか。傷と引っ込みなのか? この辺カウンセリングでやってもらわないと、首が回らない。とにかく、僕のペニスは死んでいる。




・ どうせだからぶちあげるけれど、マスターションベンをしても、体液が出ない日がある。首が潰れている日。非常に悲しい話ではあるが、正直なところそうなる。これをもってしても、僕のペニスは何か重要な隠し事がある。何らかの問題と向き合うのを避けているのは確かだと思う。20年くらいずっとそうだった。知りたくない情報提供の時間でした。


 父が怖いのか、僕のペニスが怖いのか。自分のペニスが怖いわけがない。何らかの事件か、隠す理由があるはずだ。母に人のせいにしないでと言われ、何かを止めたけれど、これは事後で、その前部分があったのかもしれない。それが父と関係あるか?

 それとも、父も性を隠すから、女性が好きだとか、助平だとか、そういうのを隠そうとするから、それから、テレビを見る視線が覗き込むように首を潰してみる。僕と全く同じ。だから、父が性を抑圧していたから、それを踏襲したか。それとも、強要されたか。





・ 別に深刻ぶって書いているわけではなく、ダラダラ打ち込んでいるだけ。男であるのを隠すのは、男の部分に羞恥心を持っているからではないのか。女が好きだ。寝たい。助平ごころ・心で頭のなかがいっぱいだ。とか。そういうストレートな部分と向き合うのを、父子は避けている。悲しいなあ。なぜ、素直になれないのだ。

 女を引っかけたい、やりまくりたい、後ろから前からお口で、そういう醜いかもしれない願望を率直に言ってもいいのではないのか。女と性的か関係を持ちたいと、顔を合わせて、正面から言えるストレートさを持っていない、寂しさ。性的な女性を上位に置きたい願望とか。格好の悪い部分は僕には山ほどある。そういうのをストレートに認めるべきではないのか。






・ 作業所の50女性は、人間的にはいいが、女性としては面白くない。僕には、助平な気持ちがあり、性的な関係を持ちたい野望がある。それを叶えられないなら、女性と付き合う願望が無くなってしまう。非常にボロッチイが、ここが非常にポイントが高い。ここをクリアしなければ、女性と相手を呼べない。欲しい女性はクリアする女性で、そういう関係を望んでいる醜い自分がいる。

 若い女性はそれらを満たしてくれる。しかし、爺の僕に相手から魅力があると見られる可能性はゼロに近いと思う。僕は醜い女性への願望と向き合い、肯定し、自分の中に確かに定着させる必要はあるだろう。そこをクリアしていない。

 自分の中の女性への願望を認めることは、一歩進んでいると言えそう。それって、本当に醜いのか? 正々堂々と認めることは格好いいことではないのか。嘯(うそぶ)いたら地に落ちるが、認めることは格好いいと言えるかもしれない。


 ダラダラ書きました。終わり。





9 Sun

9 Sun

 作業所で午前中は他の人を愛そうで、なんとかうまくいった。午後はそうはいかなかった。自分の避(よ)けているものと正面切って堂々と向き合わないと、どうにもならない気がする。逃げているものはあると踏んでいる。でも、時期でもない。



8 Sat

追記:

 そういえば今朝夢を見た。強制的にリンゴを育てる勉強をすることになる。監禁されての話。ゲロを吐いたのを拭かされたり、ポコチンを握られたり、暴力的な奴らが先生になっていた。感じの悪い夢だったが、目覚めての感じとしてはそんなに悪くなかった。
<終わり>




 織り教室に出かけた。僕にとって愛せない、好きでないなあという女性の方がいる。でもそこでは、その女性がキーパーソンというか大事な人だとも思っている。僕は今までその人に冷たい気が出ていた。

 今日は、周りの人を愛そうというスタンスでやっていた。だからその人も愛そうと見ていた。愛そうとすると、周りを観察することにもつながる。その方は、整経が早かった。デザインも本を見て自分で決定していた。織りは全部自力でできる能力がある人。

 周りの人を愛そうとすることは、自分をオープンにし、開かれる部分があるようにも感じた。昨日今日で進歩するわけもないが、方向は変えたい。



・ 自分の織りは、終わりに近づきつつある。あじろ織りの濃紺・焦げ茶2色ウール細糸の幅細マフラーを、織っています。僕のやっているのは、織るという行為なのですね(何をお前は言っているのだと思うかもしれませんが、僕は基本的にボケています。自分が何をやっているかわかっていなくてもやったりします)。

 交通機関でも、周りの人を愛そうというスタンスで乗っていた。少し周りの人を観察したりした。余裕につながる可能性はある。





7 Fri 追記

・ユマニチュード入門、本田美和子/イヴ・ジネスト/ロゼット・マレスコッティ、医学書院、2014

 という本も持っていたなあ。ぜんぶ読んでいなかった。父に使えそう。介護で、接する技術の本だと思う。内容忘れた。僕の頭はNO・脳・ノー天気。






 今日は作業所で、ボスが親族の病気をいたわることばを発し、いつも言ってらっしゃることだが、僕は反発を覚えた。というか、素直にうなずけず、それをボスは見抜いていたと思う。

 
 僕の家族を見ると、父、母ともに、家族の愛を受けていないと思われる。僕はその父母の子どもなので家族の愛はない。

 家族全員が、愛情というのを受けたことがない、愛に飢えた、甘えた人間の集まりだ。

 この水曜日にボランティアに出かけ、愛のない僕だけれど、猫に大事だよ、好きだよと気持ちを込めて撫でると猫は応えて甘えてなついてくれた。これは予想外のことだった。猫とそういう関係をもてるなどと想像していなかった。

 ここで起きたことは、愛をもらったことがなくても、愛をもらえなくても、愛しているよ、大事だよと猫に接すると、相手は応えてくれた。人間だとことはそう単純ではないだろうが、愛をもらおうではなく、愛を与えることで逆にいただくこともあるかもしれない。

 僕は愛のない父母に不満を持っているが、これは僕が甘えているからで、考え方が不健康であり、愛のない人ほど愛を与えてやる必要があるのかもしれない。愛の欲しい人ほど、愛を周りに注ぐ必要があるのかもしれない。僕のように、愛をくれと、甘えた戯(たわ)けを言うのは良くなく、黙って周りに注ぐ必要があるのかもしれない。

 もらうことを考えるよりは、まわりにふりまいた方が健康というのかもしれない。この辺、実践しないと、作業所の人間関係、世間での生活が壊れていく気がする。




 周りが攻撃したがっている、不満を持っている、否定したいみたいだ、と僕は自分を硬直していくが、守らなければならない日もあるが(あまりに不利な日)、それ以外は周りをまず、愛そうとすることが必要なのかもしれない。まだ実感はないが、逆向きに走る必要はある。


 周りは否定してくる、硬直化する僕、これはNG.。まず、僕の側から愛そうとするような、積極的なかかわりというか、接し方の逆転は必要。好きになろうと努力することくらいは始められそうな気がする。愛が欲しいと、甘えていてはいつまでたっても僕はバカなままだ。逆回転、逆走だけは必要だ。否定されるなら、愛してしまえ。すくなくても、僕の側から好きになるようにスタンスだけでも変化させる必要は、ぜひとも求められる。ここは要(かなめ)で、ポイントだ。