現代に生きる森田正馬のことば / 建設業者

2017年6月16日(金)



現代に生きる森田正馬のことば Ⅱ 新しい自分で生きる、生活の発見会 編、白揚社、1998


p52-53

引用

「 

~ 良くも悪くも自分は自分だけであるよりほかにしかたがない、という心持ちが自覚によって定まってくると、性根がすわって、降りかかる運命に、泣きごとをいわずに服従するということができるようになる。そのときに腹がすわるのである。このときにはじめて周囲の境遇の変化に応じて、気やすく、心軽く受け応えすることができる。

 また腰が軽いということは、思い立ったことに、早く気軽く手を出して実行することであって、これは何ごとにも功利的で、一つ一つのことに労力と時間との見積もりを立て、損得を打算し、骨惜しみをして、物事を

おっくう(傍点)

に思うということのないときにできることである。つまるところは捨て身の態度ということに帰着する。


~入院中の読書法によっても、よくこのことがわかる。それは忙しい仕事の暇々に、一、二分の時間でも本の




(p53)

開いたところの二、三行でもよい、でたらめに読むというやり方である。こんな簡単なことを実行すれば、わずかの日数で、従来のように見積もりばかり立てておっくうに思い、少しも手をつけることのできなかったものが、打って変わって、寸陰を惜しみ、倒れてもただは起きぬというふうに、知識欲に駆られて、いくらでも読書ができるようになる。これは実行して体験しなければけっして想像や理論でわかることではない。

~読書に限らず何ごとにも気軽く手を出して、何も得るところがなくても元のもの、少しでも得るところがあればもうけもの、いやならいつでも投げ出す、という心持ちであるから、結局は捨て身の態度と同様です。 [V 743]







建設業者、建築知識編集部、X-Knowledge、2012(僕のは、ブックオフで買った、ヤニで黄色くなった本、ちょっと残念)


解体工 とにかく近所の人を大事にしている 村上文朗


 
045-046

引用

建物の上の階から解体機(ユンボに似た重機)で解体しながら、一階ずつ地上まで降りてくる工法を「階上解体」というんです。その階の壁を全部壊し終わったら床の一画に大きな孔をあけて、そこから解体機ごと降ろしてまた壊す、その繰り返しで下まで降りてきます。


 ― 建物によって、解体しやすさにも違いがありますか?


 ありますね。鉄筋コンクリートの建物なら、本格的な解体をする前に、ちょっとだけ壊してみてコンクリートの中に埋まっている鉄筋の本数を数えれば、その時点で解体の難易度が分かります。鉄筋が必要な本数に足りていないとか、正しい間隔で入っていないとか、いわゆる手抜き工事が発覚すると、この仕事は難しくなりそうだと覚悟します。

~鉄筋がしっかり入っていない建物は、解体機を床の上に安心して載せられないんです。解体機の重量で、


(046)

いつ足元が崩壊するか分からないでしょ?





(引用者:kurage0147130):


森田正馬の本は、読書の仕方も含んでいて、指摘された。僕はまだ腹がすわっていない。腰も重い、捨て身が足りないという言い方で、自分のことを表現できてしまうかもしれない。

 建設業者の話は面白かった。解体工のところ。手抜き工事をすると、解体工の人たちが苦労して命にも及ぶほど危険になるかもしれない。身勝手は迷惑だなんだなと思った。着物の解体を僕はやっているけれど、ミシンで縫われると壊すは大変だ。手先が器用な人は、目が小さく縫い、織り込みも小さく、端の糸を取り除くのが困難だったこともあった。

 この方と同じで、解体は、作る人のこともわかっていないとうまく行かない気がする。どう作るかの手順を理解しないと、壊す時もきれいにいかない。ズタズタならいいだろうけれど。と思うけれど、僕はまだよくわかっていない。勉強中。