追記:そういや、
○英語を使いこなすための実践的学習法/田中茂範/大修館書店/2016
を図書館で読んでいるよ。文法は、表現方法のバリエーションを作る骨格みたいなものと感じた。
自分で文を作るとき、この表現のためにどの文法でいくか選択肢がたくさんあると言い替えができる、そのための文法。知識教養ではなく。実際に使うための本だから読んでいて楽しい。
ちょっと硬い本なので、苦手な人はいると思うけれど、僕はこれを5回は読んで血肉にしたい。
・あと、
○カウンセリングとは何か 上巻 諸富祥彦、誠信書房、2010
を読んでいました。交通機関で。あまり内容のない本です。下巻からが本論らしい。
悪口ではなく、この上巻は下巻へ続くためのガイダンス。カウンセリングを受けていて、どういうことが展開されいるのかあらためて分かった。
自己探索をし、心を観察し、カウンセラーのもと心を再解釈・新たな見方をし直して、心を統合して成長させていくプロセス。そのようなものらしい。(本の定義と違う・僕の理解)
読んでいてとてもいい時間を過ごした。下巻にも期待している。
02 Tue
seesaaaブログのほうがメインです。こちらはサブ。実際に本をやってみて、今回は成果が出た。
なんか、鍛えるために毎日があり、鍛練を施し、練り上げ、いかなる状況下でも反応できるための合宿というか訓練というか、そのような気がする、というかそのようになってしまう。
まえに、LEDルーペを着物ほどきのために買ったけれど、それを使っていたら、スタッフが金を出してくれた。お買い上げ頂いた。買ってもらう格好となった。
すごく節約している作業所なのに、僕は高価なものを解体のために出費させてしまった。僕の話題は盛り上がり、槍玉になり、格好の肴になっただろうと想像できる(スタッフの間で)
毎日しんどい。愚痴をこぼしておきました。明日からまた何とか毎日を回していこうと思う。
僕はなんだかんだ言って恵まれています。そこは感謝しています。ありがとうございます。
神様にも頭を下げます。よろしくお願いします。
では、また、懲りずに読んでくれることを期待しています。ありがとうございます。
L
こちらで活動しました。
5/1 Mon
作業所で、nuno-zoriの達人に無視されている。会ったときからそうだった。
それを変えるつもりはない。でも、ずっと続くと嫌にもなる。
最初のうちは、相手の責任でやっているのだからと相手に返していたけれど、ずっと一緒にいて、隣の人にだけ話しかけて、話がずっと続いていく。
自分でどうしたらいいかわからない。嫌になっていく。ダメージを感じる。相手の態度を変えるつもりはない。僕は、どう反応したらいいのだ。
好きでないから僕には話しかけないのだと思う。最初からそうだったし。それは相手の責任。自分で心を手当てする方法、5章 悩みが頭から離れないとき -とらわれ、抑うつ的反芻 で対処したらいいのか? 読んでみよう。
L
4/30 Sun
英語少し、ティッシュ入れ手縫い少し、リコーダー少しをした。リンパストレッチもやっておいた。
カウンセラーの先生向け文:
・ 交通機関や図書館で咳をされて否定されても、さほど気にならなくなりました。
相手に返しています。相手が判断し感じ決めた行動を、否定したり拒絶するのではなく、相手の行動として相手側に責任を戻す、相手側の源(みなもと)の行為として帰着(きちゃく)させることにしました。成功していると思います。
k
29 Sat
・ 昨日の神社は、賽銭を投げるとき、他の人はいくらぐらい投げるかなと、ちゃんと見ていた。10円1円が多かった。小市民ぶりを発揮した。
・ 今日は、雑務をこなした。それは、昨日インターネットで Ramon De Zubiaurreというスペインの画家を検索して(写真を貼った人)、その人の本を中古でスペイン・アマゾンで買おうという所まで進んでしまった。
自分でやっていて何やっているんだとなった。2時間以上使った。何にもしないで買うことばかり考えて。僕の本集めも、読まないで買ってきた。
・ 人間にとって重要なのは、その時々で精一杯やること。その時やらなければ、あとで、と言うことは成立しない。過去は変えられない。今やらなければ、やらなかったということだ。
・ そして、森田正馬の気分本位という考え方。気分が乗らないからやらないではなく、事実本位の考え方で、これこれをしたから目的を達して今日はいい日だったという判断をする考え方。
僕は気分本位しかやってこなかった。交通機関でも、最低の日でもないのに、今日は気分が乗らないから本を読まないと、読まないことが多い。
・ それで今日は、土起こし、図書館読書、水槽掃除、カレー料理、掃除機、本棚の整理、掃除機、風呂(4日ぶりくらい・僕は汚い奴だよ~ん)と、雑務は皆やった。やれることは皆やった。家で読書はしなかった、できなかった。事実本位でやってみた。
・ 土起こしをしていて、セミのサナギを見つけた。グーグル写真でチェックして確認した。かわいい奴だった。埋め戻しておいた。茶色い、筒のようなねじれたカプセルみたいなもの。
ミミズはたくさんいた。つくしは引っ張って取って歩いた。繁茂されたら困るが、キノコのように胞子(キノコ?シダ?)みたいなのを飛ばしてすごかった。
・ 女性に凸したから、男だとは思わない。
昨日は、英語をやった。事実本位をおもいだしてやってみた。気分が乗らないという言い訳はしなかった。
k
いちばんよかったのは、
写真で見ると良さがわからないけれど、漁師の人の顔と佇(たたず)まいが僕には迫ってきた。奥さんも印象深かった。上のほうの家並みも実物は絵の世界の家並みとして存在していた。写真で見て、見えるところも多く、僕はなにを見てきたのかな? とも思った。
ラモン・デ・スビアウレ 作者 、オンダロアの港というタイトル。
児島虎次郎という方も初めて知った。よかった。明るくて。乳を飲ませる日本人を描いた絵もよかった。
ヴラマンクの黒い塗り方の絵は、今日も好きだったなあ。アンリ・ル・シダネルの夕暮の小卓は、夕方のちょっと暗い、背景とテーブルの余韻があって、人物がない分奥行きがあった。
河井寛次郎の陶器は、手作りのこじんまりしているけれど引き締まり、そこにあるという存在感がよかった。かわいらしく小声で話しかけられる印象を持つ物だった。
・本郷新 札幌彫刻美術館は、アフリカの仮面と彫像展だった。独特の世界観がある、マイナーな展示だった。エネルギッシュが詰まった、前近代な、思いが込められた独特な造形が印象に残った。勉強していないので難しいことはわからない。
本郷新記念札幌彫刻美術館ホームページ
チラシの表面の写真があります。
ブレ・ボケ 感性的な写真は古く感じられ、今は成立しない気がした。
犬と網タイツ よりの写真は、光と陰、輪郭、質感、構図でできているのかなと思った。ディテールと質感が迫るような気がした。
僕にとって写真は今はあまり感じない分野だなと思った。絵のほうがよかった。掛け軸も見たいな。
・ 北海道神宮へ行き、100円という巨額の金を投機して、頭を下げてきた。
40年ぶりくらいの神社でのお参り。僕は自分としては一生懸命生きているつもりだけれど、あとは神頼み、神様に頭を下げてやっていくしかないので、頭(こうべ)を垂れてきた。特段祈ったわけではない。神様に頭を下げるのが目的だった。
神様が僕の願いをかなえてくれるとは思っていない。人間の数はすごいから。それより、謙虚になりたかったかもしれない。人間、所詮、頭を下げる動物だ。最後はまかせるしかない。
立派な社と、杉並木?の道を歩いてきた。境内も、広くて立派だった。独特の雰囲気だった。手も洗って参拝した。帽子は脱いだ。
・ 近代美で、労働者というタイトルの絵を見て、冴えない2人組の絵だった。僕自身の労働者という身分を見てしまった。一介の労働者、お針子さんですらない、解体業。50男。労働者の悲哀を思う。僕は一生懸命やっていきたい。