26 Thu / 1/25 wed 片岡球子 道立近代美術館

2017年1月30日(月)

・快楽の館 p46/47
黒のランジェリー女アップ。バスト強調。背後に裸女一人写る。

 ランジェリー女は要らない。女を主張する小道具かもしれないが、裸を見たいだけだ。背後の裸女は、壁に寄りかかって、おもしろくないポーズ。
 ランジェリー女は、バストが下着によって強調されているけれど、面白味がない。何だこんなものという感じがする。

 あらぬ方向を見る女3人。裸の女が見たくて買った写真集だけれど、つまらなくなってきた。もう少しで半分だけれど、つまらぬ。払った金の分くらい楽しませてくれ。こんな女の写真より、風景写真のほうが面白いかもしれぬ。

 ちょっと楽しみ方を見つけた。アップ左の女の耳の部分が写っている。ここだけおもしろい。女の耳を見ていた方が、いやされるよ。


・最近低調でした。土曜日は織り教室へ行きましたが、疲れていたので10分早く切り上げた。織りは楽しかった。感触が良かった。機を織る感触を少し楽しんだ。

快楽の館、p48-49

女の尻3個がこちらを向いている。いい景色と言いたいが、つまらない。僕は不感症になったのか。
女の写真集を見ても面白いと思わない。

女という人間の動物の尻を見て、いい景色だとは思うが、すごいとは思わない。景色がいいとただ思うだけ。
女の肉体の重さを見ていて感じる。

快楽の館 p50/51/51-2

 こちらもめくってみたが、女の裸が出ていた。つまらない。今日は女の裸に興味がないのか? 僕は何なのだ。男なのか。子どもなのか。爺さんなのか。

この写真集を見るのは保留になるかもしれない。つまらない。風景が見たい。東松照明とか見たほうが有意義ではないのか?







目次つき

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・快楽の館 p43/44

 見開き一人の女のヌード。アップでうつり、胸しか見えん。顔が怖い。左上から右下への鉄パイプに沿ってポーズが作られ、色気ゼロ。

 女モデルは光をいっぱい浴び、白の背景に濃くプリントされている。女の怖さしか感じられない。商品価値はないと思える。ここのところの写真は面白くないのが続いた。ドスを飲まされたような印象を受ける。女の顔から逞しさは感じる。この写真の意味不明だ。

次もめくりたいけれどやめた。今日はここまで。 




25 wed

 片岡球子 本画とスケッチで探る画業のひみつ 道近美に行った。


 おもしろかった。下手っぽい絵。下手というのは語弊があり、率直、偽りがなく飾らない、真剣に取り組んだと言える。

 絵を描く前に、スケッチ帳で、下書きをしてから、ポイントを掴み、絵の細部を詰めたり、バランスを探ったり、色を探ったり、書き方を詰めたりしたのだろう。絵が詳しくないのでそれくらいしか感じられなかった。

絵を描くことへの真摯さには、好感をもった。僕にもできそう。僕の書き方でもよさそう、と妄想を膨らませた。あのオリジナリティはすごいのだろうけれど。色彩感覚も独特だろうと想像した。

 僕は絵を描くことを投げたけれど、片岡さんはずっと取り組み続けた。そこはすごい。自分のスタイルも曲げていない。





・ 計画支援の場所に出向いて、僕の行動を伝えた。この出向くのがたいへんだ。時間もとられる。今日は休みだけれど。


 今日は雪かきしたり、掃除機をかけた。水槽も掃除した。メダカくん。



・快楽の館 p41-42

 撮影の裏舞台写真。おもしろくない。裸もよく見えない。見開きで女がごちゃごちゃいるだけ。

裸の女の横、後姿には助平さがかけらもない。肉体という物質の重みしかない。

顔の表情も商品ではない。姿勢も商品ではない。ほんとうに、舞台裏の写真。緊迫感と雑多な印象。

女は助平な存在ではないのがわかる。男が助平にしている、見ている。僕のこと。

舞台裏の写真を見ると、写真集は篠山紀信の構築物なのだろう。




・能力を伸ばす四つのポイント、立花均

 を交通機関で、首を低く読んでいると、バカにしてくる奴がけっこういる。放っておいたら、しつこい。しつこいのでそいつの顔を見た。若いころはかわいかった、かわいさを売りにしていて、ちょっと自信のあるそういう女の顔だった。

 バカにされても、大事な本を読んでいるし、そんなやつ、バカにしてもお前らやってろ、という心もちだ。

 どんなにバカにされても、かまわない。僕はポイントを押えている。

 この本、大事だ、僕にとっては。