24 Tue / 23 / 01/22(Sun)甘えている僕。 / 2017/01/21(Sat)失礼しました。

24 Tue

今日は、こちらで活動しました。

kurage0147130.weebly.com




23 Mon

・快楽の館 p39-40

 左右見開き違う写真、同一モデル。右の写真は、女の質感、白さ、艶っぽい。色っぽい。この肉体が欲しいと思う。

 背中を反って、尻を突出し、両手を挙げて、女の魅力を引き出すポーズになっている。肩、背中、尻のラインが美しい。

 女の性、丸みが如何なく発揮されたポーズ。


 左の写真は、影の黒、緑の植物、女の白く飛んでいる光を浴びている女の肉体・黒いレースのインナーで成立させている。

 男は女に何を見るのでしょうね。男の願望でしょうか。存在そのものを見られるのでしょうか。僕の目は願望で曇っています。

 女は女のために存在しているというのを意識してみないと願望がかぶる気がする。女の女のための存在って何でしょうね。命でしょうか。生の命。肉体を現在に燃やす、光り輝く若い肉体、人間に生まれた限りある個の放つエネルギー。瑞瑞(みずみず)しさ。老と対になる若さ。一瞬の光。特権を持ってしまっている傲岸(ごうがん)さ。うらやましいな。わかさは。僕は失った。







・働き方 稲盛和夫

 も少し読んだ。この人のすごいところのおすそ分けをもらう。学ばせてもらう。

 垂直の壁を登る覚悟を持っていたらしい(たとえ、仕事の取り組み方)。自分の信念を曲げる気持ちはさらさらなく、壁に当たったら、そこがスタート地点で、やめるなど眼中になく、成功するまで突き進むそうだ。僕はかなり甘い。

この人の厳しさは半端じゃないのだろう。



・能力を伸ばす四つのポイント 立花均

を2回目読んでいる。2回目なので頭に入る。

 レベルを下げた教材で、部分に切り分け、部分を磨く。

・basic grammar in use(north american english) 3rd edition

を触っているけれど、現在形のbe, 動詞を使って表現する。 ここで何を問われているかは、

・新感覚☆わかる使える英文法 4月号 NHKテレビ 講師 田中茂範 2007
の、

 動きや変化が表現されない、状態や感覚・知覚・認識を表す場合、動作を表す場合、習慣や一般的な事柄を表す場合、といった部分に分解できて、その例文というか使い方が出ている。


最初この本を買った時、全部やろうとして失敗した。難しい本。でも、例文を変化させたり、つまみ食いすれば使える。パーツのことが書かれている。部分を磨く材料になる。

教科書は、文がずらずら出て来るだけで、基本形がはっきりしていないので、田中先生の本でパーツ磨きできる。そして、教科書をやればはっきりしてくる。

 部分磨きをし、部分磨きを繰り返せば、能力は一気に昇華するらしい。「能力4つ」の本では、芋虫、サナギ、蝶になる、その花開く方法が書かれている。今すごく大事な本で、交通機関で読んでいる。楽しいと感じ、頭に入ってくる。





01/22 S n

 今日は作業所の送迎バスに乗り込んだ時から、旗色の悪さを感じた。金曜日に僕は失調していた。

 態度で示さなければならないので、走った。できるだけ走って作業した。午前中は走れた。

 それで思ったのは、自分の居場所は自分で作るというあたりまえのシンプルなものだった。走って作業して自分の居場所を保持する。
午後はスロペースからスタートして、徐々に走ろうとして見たけれど、午前中ほどではなかった。走れる状況でなくても走ろうとずっと取り組み続けることは大事らしいなと感じた。





 走ることを通して見えたのは、
「僕はダメだ、孤独だ」というのは甘ったれの言葉だった。自分の居場所を欲しがるばかりで、いじけて、下を向く言葉だった。
 
 たいして重要な言葉ではない。とりあえず走ろうと努力し、手が萎えていても、切らさず走ろうとし続けることはできるはずだろう。
 
 この作業所にはテーラーSGというひともいる。この人はずっと走って作業する。作業所の顔の一人。この仕事に対する姿勢と熱意は、背中を見せてもらい真似しないといけない。

 自分で走って自分の場所を作るという、シンプルでわかりやすい標語が今日は体感できた。

 友達が欲しければ自分で作り、女が欲しければ自分で男をやることを目指せばいいだけなのだろう。この辺はまだ見えない。 





・快楽の館 p37-38

 見開き違う写真、同一モデル二人。黒のランジェリー姿。僕はランジェリー趣味はないので面白くない。裸のほうが好きだ。黒の影が効いている。若い2人なので、お肌がスベスベそう。女に睨まれると怖いな。

 右の写真は、建物が太陽の光の影で黒く塗りつぶされ、黒のランジェリー2人を吸い込んでいる。引いている写真だし。

 おもしろくない写真。

建物の影の黒と光の当たっているところのタイルの質感が面白い。女2人モデルは、建物のおかずになっている。女の意識と肉体は、時間の移ろいのなかでどこへ向かうのだろう。いくのだろう。




 人間が見るから女モデルが成立する。ロボットがこの写真を見ても成立しないだろう。女という存在に何を見るのだろう。僕はおじいさんに移行してきている。この女性たちもおばあさんにいずれなる。おじいさん、おばあさんから見ると、若い時代とは過ぎ去っただけなのだろうか。あのエネルギーやスパーク、怒りは消えた幻だというのか。僕は確かに吠えた。犬のように雄たけびを上げた。

あの時の僕は今はいない。でもあの時は確かに存在した。過去で、おわったこと。僕はおじいさんに移行している。その時々しかないのはわかるが、過去の自分をどう処理するのか。過去は振りかえらず不問にし、今に全力を尽くす、と言うことしか浮かばない。













「村」


 交通機関に乗り込み、端のほうの席、村へやってきた。

 そこにはみな降りてしまった後に、村人Aが座っていた。女性。

 そこへ村人Bになるべく僕が座り込んだ。こうして村は作られた。

 前のほうの席には、3歳くらいの子供3人を抱え、赤ん坊をだっこした村人Cたちが座り、酒宴をもうけた。
 もちろん酒は飲まないが、お菓子をぼりぼり子供たちは齧り始めた。
 村人Cの子沢山(こだくさん)は、今の日本では珍しく、偉い人から表彰を受ける価値がある人たちだった。この頑張りには脱帽するしかない。

 僕の隣の、村長である村人Aは、スマホのゲームか何かをいじりながら、ときおり小声をあげる。僕は気になった。


 村人Cたちの一行は、終点に着く前に降りて行った。がんばってね。子どもが多いのは大変なのか幸せなのかわからないけれど、エネルギーは使うだろう。

 最後に、村長と僕だけ残った。

 村は、運転手が持って行ってしまった。僕は叩きだされた。うう、無念。

 いつか村を再興し、村長の右腕としてまたがんばるぞ! 牛っし(うっし)。






・ 今日は、織り教室へ出かけた。まあ、頑張ったわけです。世間の荒波は厳しく、他者存在は脅威として残っています。この厳しさの前に立ちつくしそうだけれど、前を向いていこうと思う。

 小学生の、身体のデカイ、おねーちゃんがきていた。どう見ても小学生には見えないけれど、喋り方は小学生だった。こういうニュージェネレーションたちが幅を利かすのだろう。僕は老いぼれていく。まあちょっとは頑張った後だけれど。

 他者は恐いよ。どうなちゃうんだろうね。自分の身が守り切れるか。

 ツルツル路面の前に、歩幅を小さく、すり足で歩いて交差点を渡った。

 青空は、あおく、おおきく、がめんいっぱいにひろがり、僕を心を吸い込む箱だった。(芥川賞直木賞 すごいひとたちにあやかりたいものです)