1/10(Tue) / 1/9(Mon) 子宮から放り出されて、芥(あくた)に塗(まみ)れ始めた日。

10(Tue)

 
 今日も調子が悪かったと帰りの交通機関でわかった。日中、作業所ではわからず暗くなっていた。

 周りの人を見ていると、人間存在として関わっていた。僕の家族関係とは違うなと思った。今の僕にはできない部分。作業所の人たちは僕の理解できないやり取りをしているらしかった。人間存在として関わっていた。



 父と僕は頭の中に存在しており、人間関係をもったことがない生き物だ。観念の牢獄に繋がれたアホな虫だと言える。何とかここから出られないものか。見えてきたのが救いといえば救いだ。



 いつ辞めなければならないかと、皿洗いをしながら思っていた。皿洗いも、去年の夏のように握力が落ちたらできない。いつまで続けられるか暗雲漂った。ここは気にしなくてもいいところを気に病んでいる。

 茶碗を割らなくてよかった。ちょっと危なかった。紫の着物、糸ほどき、終わりそうで最後までできなかった。まかせてもらえるのなら、後の着物もがんばって糸ほどきをしようと思う。明日お休み。


 明日は、寒い日らしい。寒波が来るぞ、頭を座布団で包んで机の下に潜らなきゃ。足も折りたたんで。それって、地震じゃなかった? 







こちらがお気に召すなら


マイナーなので、興味をもたれないかもしませんが。


1/9 Mon
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 興味はないかもしれませんが。

・ 僕は50歳になりました。禿げ爺への道をひた歩いているところです。

・ 最近は調子が悪かった。突っ込まれそうなのをかわしていた。

・ 作業所では、マダムが見えられて、1着着物をほどきワンピースとかにするそう。今日もまたお見えになられて4枚の着物を置いていかれた。僕が今のところ担当することになっている。(着物の糸ほどきだけ)
 丁寧に時間をかけていいからやれという指示なので、丁寧にやろうとしてる。
 
 ここ最近皿洗いをやらせてもらっている。茶碗を割らないよう注意しているつもり。終わると、結構ヘビーになる。




 あまり調子がよくなかったので、消極的な毎日だった。こちらでは見ての通りのユーチューブコピーをしていた。


 ACTをはじめる、をseesaaブログでやっているので、格言に習って、自分の人生に期待しないことにした。どういう意味でかと。
 自分の人生をバラ色に、素晴らしいものしようとしないで、惨めったらしく、煩わしく、不快でもいいやという、許容する気持ちに今日はなった。あまりポジティブを期待しない。そういう期待の持ち方は保留していきたい。

 そうではなく、何でも許容する、ネガティブな人生でもそれをよしとするような、期待を持たないスタンスに切り替えていきたい。その方が現実的だし、前向きだし、積極的だと思う。目をそらさないのだから。今の自分に即している。それが僕の人生だと思う。