10/11(TueTueTue鼠鼠鼠) / 10/10(Mon) nuno-zoriのコツ / はじめてのフェルデンクライス


2016年10月11日(火)

 今日は調子が悪かった。


 Nuno-zoriは割とうまく進んでいると思う。

握力があるからと、まっすぐ紐を引っ張り、新しく入った方、女性のやり方を真似しているから。

 この女性、上手くいかないとそこまで戻って解(ほど)いて、やり直す。これを僕も盗んで、見習ってやるようにした。それで失敗が作品に残らなくなった。作品と言うのはおこがましいですが、うまくいっている時ぐらいいってもいいよね。うん? 

 僕の汗が浸みこんだ臭いnuno-zoriですが、頑張っています。



 今日は交通機関でも作業所でも、やたらと否定してくる奴が多かった。それで、心の声だけに従う作戦をやった。

自分の心の声に、心をよく聴くようにし、周りの否定には一切耳を貸さないことにした。聞いてはいるんですよ、でも耳は貸さない。自分の心の声を第一にした。この作戦も成功していくといいなあ。



 僕は森田療法のあるがまま、をできるようになりたい。良くも悪くも受け入れ認める。そのまま見る。そのまま感じる。そういうようになりたい。

昨日はリコーダー吹かないで寝てしまった。











2016/10/10(Monくあっか!)

 作業所では、ペニスを集団の中に置くというコンセプトを引き続きやった。あまり成功していないような気もするけれど、間違いコンセプトだとも思っていない。

 森田正馬ブログを再開した。アサーティブは読むだけにした。

 今日もリコーダーに時間をかけたい。調子がよいのか悪いのかよくわからんけれど、活動できるのでよいのだろう。

 あるがまま、ということなら、僕は、この限られた人々のなかで(交通機関、作業所、このブログ、この家族、この地域)、活動できることは素直に喜ぶべきことだ。

 nuno-zori、着物の糸ほどき、織りとやらせてもらって、僕は夢がかなっている状態なのだろう、不満や理想を思うより、この現在をありがたく思うほうが大事そうな気がする、今の職業環境。
 底辺だけれど、夢を生きていると言える。


★☆ nono-zoriのコツひとつわかった。輪っかの紐=ひっかけて4本の紐を引っ張るときに、真っ直ぐ引っ張っていないとダメだ。右へ左へヨレないで、真っ直ぐ引っ張るのが、編み込む時のきれいさにつながるようだ。

 そうしない場合、目が汚くなる、今の僕の失敗状態へとつながる気がする。









2016年10月9日(日)


 帰ってきたら、今日の父は不満タラタラだった。あの人は不満の塊(かたまり)だからそうなのだろう。

 作業所は調子がよかった。年に何回あるかだった。ペニスを集団の中に置こうとしてみた。あまり成功しなかった。

 今日もトム・ヨークをちょっと見た。顔をくねくねさせて歌う。歌のことだけ考えているみたいだ。完全に心に従ってパフォーマンスしているように見える。NOS alive 2016,youtube 怒鳴るタイプではないみたい。

 リコーダーの練習をした。久しぶりに練習をした、というくらい時間をかけた。1時間くらい。リコーダーJP、第7課。










2016年10月8日(土)

    木・金は夜、調子が悪く何もしないで寝た。

   今日は、織り教室に出かけた。

  先生に話しかけられ、返事ができなかった。心が邪魔していた。

 僕が最初見下していて、後に楽器ができて織りの能力の高い人が他の人と話していても、心は脅えていた。


 心は何かに脅えて小さくなっていた。先生にも変なやつと思われたみたいだった。どうなろうと今はこれしかできなかった。辞めなければいつか挽回できるだろう。


 昨日も心の声を聞こうとしていた。帰りの自転車でも聞こうとしてみた。まだなにもわからないけれど。

 織りで、集団に性を置こうというのは、今日はあまり成功しなかった。ペニスに存在感が薄かった。

 心は喋らないけれど、静かに存在している。なにかはある。なにもないわけでもない。でも喋らない。リコーダーを久しぶりに吹いてみた。どうというわけでもなかった。うまく吹こうとし、心の声を聞いて吹こうとした。

 Youtuberadioheadを聞いていたけれど煮詰まったので、




 フェルデンクライスのCDをかけてみた。初めてのフェルデンクライスのもの、背骨のつながりを感じる、と、目のレッスン。楽になり、気持ちがよかった。可動域が広がったり、目の視界が広がる気がした。身体と対話するところがよい所なのだろう。