カウンセリング 2016/10/05(Wed)

spotifyは毎月15時間しかタダでは聞けないそうだ。セコイな。今月はここでは何もできなくなってしまった。今のところ金を払う予定はない。


2016年10月5日(水)

「カウンセリング」

・図解 自分の気持ちをきちんと<伝える>技術、平木典子、php、2007

を読んでのブログへ書いたことを印刷してカウンセラーの先生に読んでもらいました。


 そして、僕は今現在、交通機関、作業所、家庭で脅える気の小さい奴だという先生の了解がありました。しかし、幼稚園の母との件、前まで僕はいっぱしの男を気取り俺とか言って息巻いていた。気の小さい奴ではなかったと。その前までは別だったと。でも、現在は小さい奴だと。他に僕にとっての事件はなかったと。


 作業所の3千円の靴の女性に、僕は7千円だと強がりの見下し見方をもったのは僕がその女性に劣等感を持っていたと。その女性はnuno-zoriの芸術品を作る女性で、機織りでもデザインして色と織りをできる先輩女性でもあった。辞められたわけですが。それまで僕にとっては脅威であったし、怖れていた。社交的で自己主張もできる女性でした。

 その怖れがどこから来たか、僕は勉強が父母により強力に推奨されていて、やれみたいなノリだった。その割に僕はやらなかったわけです。でも、勉強ができることが優秀で、優秀でない人はダメだ、居場所がないという考え方で現在まで固まっている。

 リコーダー、織り、勉強、粘土、パソコン、みな優秀でできる人でないと、他より優れないと自分の居場所がないように思っている。そういうのは疲れるでしょうとカウンセラーの先生に言われた。もうその必要はないのに、父母の価値観でものを見て感じている。僕は降りたいし、その方向性が、自分のそうでない見方、父母の見方ではない見方、




 物事に取り組む集中力、やろうとする努力、何かを動かそうとエネルギーをつぎ込み少しでも動かそうと奮闘する小さな一歩、そういうのが評価される、そういう世界の見方、自分のための自分の感覚を働かせて、自分の眼で見て聴いて感じて発信しようとする、そういう自分のための活動・価値観・動き、そういう血の通った、僕のためのこれからの未来の力・血になるやり方にシフトすべきだとカウンセラーの先生に言われた、というか、僕の未来のために僕自身がシフトしていきたい。


それをやるのは父母の古い見方と干渉する、ぶつかりあうけれど、自分の価値観を選びとろうと常に毎日、2つの見方を(父母のと・僕のこれからのための見方)感じて自分の見方を選びとろうと努力して道をつけていかなければならない。そういう毎日にしていかなければならない、そのためには毎日自分のなかで葛藤して、闘うというか、選びとる必要がある。僕の課題となって残された。



 そういう方向性へカウンセラーの先生が導いてくれた。僕が選ぶように道付けしてくれたと感じたし、思った。次回の僕が決めた最後の90分枠、EMDRのためにも僕自身、emdrをやることになるかどうかわからないけれど切磋琢磨して精進していく必要がある。手綱(たづな)を握るようにはしていきたい。