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bookoff中古本リスト ヘルマン・ヘッセ

わがままこそ最高の美徳

ヘッセの読書術

ヘルマン・ヘッセ 人生の深き味わい

愛することができる人は幸せだ

人は成熟するにつれて若くなる

地獄は克服できる


・ 僕は下の世話、全然苦にならないです。少ししかしていないお前に何が言える、と言われそうですが、汚いとも思いません。天職だったりして。マザー・じじいと呼んでください。ハハッ ♡♡。

追記
 
 母に対して、母の愛を期待するのはやめたほうがいい。そういうのは他の人に期待して、母には求めなくていい。そういう心理だから僕の側もいつまでたってもグチグチ・グダグダと、死んだようになっている。卒業する部分らしいし、そうしたいし、そうしていく。


2016/09/21(Wed)

 今日は休みで、カウンセラーの先生のところにセラピーにでかけた。


 母が、僕が独り暮らしを始めるため家を出て行ったあと(20年前)、相談員のところへ、子育てについて相談に言った話を、カウンセラーの先生に話したら、うちのクライエントで親が心配してそこまでする人はいない、感動したと話された。僕は恵まれた環境にあることをそのことで知った。
 僕はそんなに母を敵にしなくてもいいのかもしれない。料理は作っています。でも、料理は続けたい。争ってもみたい。

 今日は鬱々したくないので、晴れの服を着て出かけた。次回からはまた地味なのを着ていく予定。昨日皆に叩かれたので、滅入った、憂さ晴らしかも。




・ ソマティック エクスピリエンシング Somatic Experiencing というトラウマの人を、身体のゆがみを正すことで治療する資格らしいが、それをやって頂いた。新しい10年くらい前からのものらしい。20分くらいやってもらった。

 身体を楽にして、足なら足にフォーカスして、どういう感じが聞いて、重かったら、どうすれば重くなくなるか、身体を動かしたいように動かす治療。
 僕は体の各部位が、背中、手、胸、背骨、重く歪んでいたのを、楽になるように動かしたら、正しい姿勢になっていった。 そういうのをやって頂いた。




 僕はお金も使っているし、恵まれている。そこは感謝しないと、苦労されている方、僕を受け持って、僕の人生に責任を持って治療されているカウンセラーの先生に申し訳ない、ということになる。カウンセラーの先生も、スキムミルクで育ったと語ってくれた。そこは僕の側が共感した。
 
 カウンセラーの先生も思われたようだけれど、母はそんなに悪くない、仮想敵でもない、母自身がスキーマを抱えて苦しいから、僕に悪態をついているだけ、そんなに目くじらする相手でもない 、ということらしい。
 ヘルマン・ヘッセの本をブックオフで買ってしまいました。読んでいきます。仮想敵でなくても、母問題は卒業したい。ヘルマン・ヘッセのように自由になりたい。

 僕は普通の人になりたいし、普通の人の人生を歩めるようになることが目標かもしれない。僕は異物で、変で、変わっているという大方の見方の中で暮らしているので、

 カウンセラーの先生も仰ったけれど、プラスの自分の良い面をもっと見つめて、良いところに自信を持って歩めるようになればいいのだろう。




 今日は夜、父の下の世話をした。しているところ。

 








2016/09/20(Tue)

メタリカ、セイントアンガー、いいですね。ヴォーカルの怒りがキッチリ決まっている。


 2016年9月20日(火)


・ Nuno-zoriですが、新しく入った人は僕の3倍上手いです。芸術品を作りそうな、作っている方です。ううっ、先を越された。

 僕は先が丸いのをとんがってしか編めなかったし、端の巻きが一定でなく、さらに編み込みもブワブワっぽくなっている。ようするに、下手なのを作っています。僕なりに頑張っているのでいいでしょうと、区切りを入れます。



・母という病、 岡田尊司ポプラ社



 読んでいます最後の章、これを読んで骨格を掴んだ。

 父母は僕を否定してダメなやつと植え込んだ。けれど、それを植え込んだのは父母で僕がダメだと頭を打ち付ける必要はない。父母がそういう態度を取ってきただけ。僕がダメだと思う必要なし。本にも復讐は無駄だとあるように、父母にこだわるのはNG.


 できれば一人暮らしをした方がいい。推奨されている。ヘルマン・ヘッセは知的障がいの施設に入って落胆したらしいけれど、まさにそこから復活の糸口をつかんでいく。自殺未遂もあるようだし、かなり危ない橋を渡ってきたらしいことが書いてある。だからヘルマンヘッセの庭の本に惹かれたのかも。まあ、先輩ですね。母親問題を取組んだ。

 一人暮らしをするなら、休みの日だけ前の日に親元に戻り、2日間過ごすのはいいかも。リコーダーの練習をしたい。インターネットも引かねばならない。市営住宅は雪かき当番がありそうで嫌だな。近所づきあいとか。家に近いが。その辺が気になったところ。




・ 昨日の夜、握力落ちた。作業所は袋叩き状態だったけれど、僕の側が退けた。愛のないのは父母の側だろと。それと一緒で、認めない否定するのはお前らのほうだろと。喧嘩腰でなかったですよ。理詰めで対処しました。


・ 昨日も料理を作った。今日はスパイシーひきわり納豆を作る予定。昨日のは今朝食べた。うまかったよ。家族の分も作った。皆食べた。母に丸め込まれるのは嫌だな。母も料理を作ってくる。僕は一日一品つくる。争うつもりあり。母の料理も食べています。でも自分のも作る。



・ 問題は、愛着をどう築くかだ。渥美由喜は、子供会に力を入れて、愛着問題を乗り越えたのだと思う。(僕の投影したネジ曲がった見方)

 彼女を作るのが手っ取り早いが。今の段階では無理。一人暮らしをする必要あり。あと6年くらいで56歳。僕の持ち時間は短い。最短距離を歩く必要あり。頭を打ち付ける余裕もない。進まなければ手持ちが無くなってしまう。


・ ノートパソコン、ウィンドウズ7、メモリ増設で、一人暮らしは乗り切れるだろう。(安そう、チープ。プア。) 今日思いついた一人暮らし、本の影響で。









 風呂に入って、鏡に映った自分の髪を見て、薄くなってるなー。と思った。てっぺん禿げも近いぞ。そろそろ 禿げT(はげが意匠化されたTシャツ) を作ってもいいかも。

 父にもらった(父ももらった)バーバリーの靴下の箱を挟んで潰してしまい、バラバラ・リーな靴下になった。




2016年9月19日(月)

 ・母という病


 交通機関で読んでいます。p126まで読んで、とりあえずいいやと思い、結末だけ先に読むことにした。p217 第七章 母という病を克服する p246まで読んだ。

 感想は、料理を通してもぶつかったほうがいいということ。母に呑まれるより争った方がいい。母をカヴァーしたり、阿(おもね)るより、感情的にも態度的にも立場的にも敵対に近い部分を持ち込んだ方がいいと思う。とにかく毎日1品作り続ける。今日も食材を買い込んできた。

 ガンを消す食事 完全レシピ166(いまはがんにこだわっていないけれど、買ってしまったので利用するようにしたい)p115鶏ささみのたたき を作る。明日の朝食に出す予定、無理なら夕食。



・ てれび日本列島?夕方6時地上波3番。北海道を自転車で旅する、日本1周に挑戦する若者が立ち寄る床屋さんの話を途中見た。警察官を落ちた方がいた。


 職業だけれど、僕は歌手に憧れ、たぶんなれないで終わるだろうけれど、実際の職業は、皿洗い、新聞配達、清掃(ベッドメイク)、パン製造ライン、チラシ配布、アルバイト多数をやってきた。完全に使われる身分の裏道だった。

チラシ配布はこんなんで金になるのかと思い入ったが、金になった。力を出した。この職業以外、やりたい職業ではなかった。


 そして、手芸の作業所に入り3つ目の作業所となった。2つ目は、初めて作る職業で、こういうのに慣れるという意味合いだった。そして3つめ。いまのところ。着物の糸ほどきとnuno-zori作業。ここはよかった。


 皆集中してやっている。完全に力を出さないと認められない雰囲気がある。僕はここで学んだ。僕のやっていることは最底辺だ。この最底辺の職業に全力でぶつかり集中することを。職業に貴賤はないというのを、身をもって感じている、集中してクオリティが高ければ劣った職業でも胸を張れると。やりたい手芸関連なので、自分のためになっている。


やりたくで、できて、採用されるなら、その世界でやることで吸収されることは多いと思う。憧れの職業というより、心の求める、適性のある職業がいいと思う。(ここはアドヴァイスもしくはおせっかい)

 職業というのは、がんばっていれば、何でもいいだなというのもここで学んだというか感じている。自慢できる職業でなくていい。僕は女性っぽいし、格好悪いけれど、向いていると思っている。


でも、商品を売れるアイデアを出す職業にも憧れる。やってみたい。無理かも。勉強はしたい。売り上げを伸ばす役というのをやってみたい。どういう形があるのか知らないけれど。

 最初は、10流大学の吹奏楽部のパンフレット広告取りで、広告を付けてくれた方がいて、日産の方、その方のおかげで楽しいなと思えた。ビジネス書も好きだ。売れるアイデアが出せたら楽しいだろうなと。ここはバカ丸出し。甘いぞと突込みを入れられるところ。
 でも、妄想は蜜の味だ。勉強してみたい。また妄想にはいった。


 1個目の作業所はパソコンだった。母がやらせたがっていて、時流に乗るという意味ではよかったけれど、僕が望んで入ったところではなかった。職業訓練もパソコンで、胃潰瘍になった。

(おわり)




2016年9月18日(日)


・ ステーションでゴミを台車に載せ捨てにく係りの人がいた。遅いので抜くだろうなとは思った。今までは早く抜こうと先を急いだと思うが、今日は、後ろにいるときは、後ろにいる時間を楽しんだ方がいいなというものだった。先を行こう、抜こうとするより、遅い、後方の今を大事にした方がいいなと。

 これ、何にでも当てはまる。英語なら、勉強ができていない、語学力が低い今を楽しんだ方がいい。すごくなろう、たかくなろうとするより、英語べたな、下手糞しかできない英語能力の低い今を楽しんだ方がいい。プロセスとか、下手さ加減とか、いい加減さ、間違い、知らなさすぎるところとか。そういうところを大事にできれば語学力は自然に上がって行くだろうと予想できる。
 
上を見てうらやましがるのではなく、低いところを大事によく見て味わい大切にするのが基本なのかもしれない。秘伝かも。




・ Nuno-zoriできました。鼻緒作りが、女先輩に3度目の手取り足取りの指導のもと昨日覚えました。これは男先輩が僕のいるところではない本部で作ったやつに、僕が鼻緒をつけ合作となったものでした。

 今日は、自分で作ったのに、先輩と社長が選んだ鼻緒を付けました。形は歪で、完成度もないけれど、前回よりは上達し、少しは見られるものになりました。正規品ではないでしょう。(安く売られると思う)

 すこしうれしかったです。万歳!!

今日はナスのしぎ焼きを作る予定。母と料理で争う予定。毎日1品を作り続ける。












cookpad セロリとベーコン マヨペッパー炒め をつくる予定

・パソコンのメモリーを4GBから8GBに増やした。最近ハードディスクが回りっ放しになってしまい、フリーズしたようになるので、ウィンドウズ98の最後の3年間くらいのようにメモリを増やした。

 7を使っているけれど、増やしたら快適になった。フリーズしなくなった。正解だった。出費した。


2016年9月17日(土)


・母という病

 を読んでいますが、母とそばを茹でていて思ったのは、母もその母の愛を知らない人と感じた。父も母の愛を知らない人。うちの家族をガラクタ家族とカウンセリングで呼んだのは、母の愛を知らない集団という意味だと、本を読んで感じた。


 母からこの間新しい情報を得た。中学の時時計を買ってもらったそうだが、その時計は父が質流しから得たものだったらしい。高校の時の茶色い鞄も、赤いのとか欲しかったそうだが、父から得たのはまたも質流しらしいものだったらしい。母はきちんと親から面倒を見てもらえなかったのだろう。(兄弟が多い)


 母の余裕のなさ。ド近眼的なふるまいは、母親の愛を得なかったかららしいと感じる。僕が苦しんでいるのも母親の愛がないこと。愛をもらえなかった母は、僕に愛を与える余裕などまるでなし。家族は干からび、愛を求める飢えでカラカラだ。どうすればいいのでしょうね。料理は毎日作る予定。母とは争う。

・織り教室に出かけたけれど、織っていて楽しくなかった。疲れた。コツコツとはやってきた。しつこく網代(あじろ)織りですよ。



 僕の根底って母を求めることでしょう。幼稚園の時、母の愛が得られなくて、怒って絡んでいたのかもしれない。









追記

 母という病は、(カレーを作った、定番メニューなので宣戦布告にはならないけれど取っ掛かりとして、)冷たい母親が描かれた(本の最初のほう)。

僕の母は、僕を母乳で育てなかった。スキムミルクで育った。たぶん父に愛情を感じなくて、(父方は変な家族なので)、その息子の僕にも愛を感じなかったのだろう。母は不安のなかで僕を育て、僕に愛着を持たなかったろう。


 僕は自分の食べる分は自分で作った方がいい。それが僕の掟(おきて)になると思う。



2016年9月16日(金)


・ 作業所での帰り、階段を下りて最後の段の横にアゲハチョウの幼虫がくっ付いていた。緑色で、黄色い点々があり、丸々と太った美形。

 つまみ上げて、10メートルくらい離れた街路樹の根もと小さなスぺースの花壇の上に置いてきた。乾いた土だったので、はみ出したら潰れるだろう。助かるかわからない。あまり期待しないけれど移動した。

 つまみ上げた感触は、柔らかく、丸々と太った幼虫の質感を手で感じ取った。レディーというにふさわしい感じがした。美しくてかわいかった。




・母という病、岡田尊司(たかし)、ポプラ社、2013



 本屋に、2年くらい前、山と積まれていた。父という病は、読んでいた。この本を買って読んでいなかった。カウンセリングで母に焦点が当たり、母問題に取り組もうとしているので読むことにした。父という病も良かったけれど、これも良い。


 母という存在がずるくて汚い部分があるのが他者の例から分かる。僕はこれを読んでいて、母と戦いたいと思った。最初のほうで語られる、死んだように生きるという表現、他の本でもあったけれど、これは僕にあたる。僕は死人のように生活している。このまま終わる気はない。


 母との戦い方は分かっている。僕が自分の食べる分を調理すればいい。僕は一人暮らしの時、全部作っていた。楽しかったし、苦ではなかった。これの延長で、母の料理をメインから格下げし、僕の料理を食べるようにすればいい。これが母との戦いになる。調理時間を確保しなければならない。母との戦争というのを前面に出さないとやらなくなるだろう。争う気持ちは必要だ。ほんとうにできるか? 僕は勝利したい。浮上したい。




・ 作業所に提出したレポートはスタッフ間で回し読みされたようだ。どういう人間かばれてしまった。どうとられても、日常のレベル文章なので良いも悪いもない。作業員としてやっていきます。