カウンセリング(マザコン=僕me.)

2016/09/02(Fri)

・ nuno-zori やってきました。作業所では、先輩女性がずっと休んでいて教えてもらうことはできないけれど、新しく入った女性が、練習を始めたので、僕も真似させてくれと言い、やってきた。

 最近やっていなかったので、あまりにインターヴァルが空き過ぎて、忘れるのではないかと心配になった。先輩女性を待っているのも飽きたし。

 まあまあだった。上達はしなかった。ゆるく編めてしまう下手さはある。先輩たちには及ばないけれど、自己ベストにはなっている。最初の頃よりはだいぶ上達した。

 一応編みあがって、締めて処理をすればzoriは完成だと思う。鼻緒も残るけれど。




・ 男で母親にぶつかっていきたいとは思っているけれど、発覚した通りマザコンなので、克服する必要がある。たぶんに甘えたかったのだろう。それが今も続いているのは、僕が甘えていて、甘いの一言で言えてしまう。

 この辺は成果を上げるのはたやすい気がする。足踏みもするだろうけれど。僕は母親に心理的にべったりだと思う。それを世間ではマザコンというだろう。なんか僕は情けない奴だ。その一言で言えてしまう。


・ マザコンや 浦島太郎と 断言す




2016/09/01木曜日

 母の顔イメージに男としてぶつかっていくというコンセプトで、作業に取り組みました。わりと集中できたと思います。


2016年8月31日(水)


 カウンセリングを受けてきました。今日は、EMDRメインではなく、認知行動療法スキーマ、そして

:行動、定位反応:思考、単体:視覚、表情・輪郭を見る(で、僕の姿勢を直す方向をやることになりそうです。僕は下を向いて過ごすことが多いです。)




 今日のカウンセリングの内容は、母にしょうがないと言ってあきらめるその思考を土台に進みました。


 作業所の女性スタッフ、40~50歳代女性に対してもヘッコラヘッコラしている僕と根幹は似ていると。



 母に食って掛かって何かを止めたとき、僕は人のせいにしないでと言われ、その時から母に拒絶されるのを恐れた。母に否定されるのを恐れた。そして、母は僕の中で大きくなり、直視できず、どう見ているのかという問題になった。



 母を一人の単体として受け止め、一人の女性が父と結婚し、子どもとして僕をもうけた。そういう、一女性として受け止められれば、母を大きくしないですむのではないかと。
 そして僕の姿勢の縮こまり下を向く普段の態度も良くないと、先生の指導が入った。



 カウンセラーの先生には、僕はマザコンだろうとは話した。これについて家に帰って思い返して、僕は母の感情のサポート役をやっているなと。母の気持ちを支えているなと。これがマザコンかもしれない。そうだろう。父も母も不安定で、その感情のサポート役を僕はやってきた気がする。積極的な意味ではなく、ネガティブな、奴隷的側面としてかもしれないけれど。



 多分もうその必要もないと思う。父も母の不安定だし、寄る辺(よるべ)ないし。でも僕はその役割から降りていいと思う。その時期は来ていると思う。なぜかわからないけれど、僕も歳をとったからか? 父も母も不安定だ、それでいいじゃあないか。僕が支える必要はない。僕は父母を支えることで、自分一人ではないという父母べったりの、甘えた関係を維持したかったのだろう。僕自身が父母に甘えるために、父母を利用してきた。そういう話だろうと思う。