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5×5 fifty × fifty (野球からnuno-zoriへ)


2016年7月29日(金)


 ファイターズとソフトバンクの試合を8回表からテレビで見た。父が施設からドームの試合観戦に出かけていた。

 ファイターズの中島の顔を見ていた。ピッチャーと張り合って、ひたと向き合い、勝負を繰り広げるふてぶてしさと、渡り合う根性が見えた。

 ピッチャーは百戦錬磨と思えた。中島はひるむところがなく向かって行った。塁に結果出たけれど、僕の頭は何塁打を打ったか覚えていない。(記憶力がない)


 中島はプレッシャーのかかる中やり合った。相手と自分は5分5分、その基本はあったと思う。塁に出るか打ち取られるか。打者もピッチャーも知らない。小さくなることはできる。昨日の斎藤ピッチャーは、やる前から負けていた。勝っても負けてもひたと向き合い、5分5分の勝負を繰り広げる覚悟がなかった。最初から負けている感じがした。



 もちろんこれは自分に向けて書いている。僕は最初から負けゲームを描き、負け打者として登場している。ぼくはnuno-zoriという初めての作業で、0からスタートした。先輩たちは完璧なのを作る。僕は何も知らない。僕は圧倒的に不利な精神状態でいた。できるのか、どうやればいいんだ、なにもしらないと、不利な事ばかり考え、できない人という役割を演じ続けた。




 野球のことを当てはめると、僕は何も知らないけれど、できるようになろうとする人で、不利ではある。けれど、うまくもなれる。実際は5分5分の立場だった。僕はそれを理解していなかった。萎縮する必要はなかった。できない人になる必要もなかった。

ひたと向き合い、できる・できないの5分5分をプレッシャーの中取り組んでいけばいいだけの立場でいるべきだった。できない人という無駄な役割をする必要はなかった。どんな状態にいてもフィフティフィフティを分かっている必要はある。先輩たちとの関係でも5分5分でいればいいのだろう。難しいな。




 これは何にでも言えることだと思う。絶対に自分だけが不利だということはない。悪夢のように首を切られて死んでいく立場でも、何もできない立場でも、5分5分だと思う。そいつに殺されるのは避けられない。圧倒的に不利だ。でも、人間は死ぬ動物だ。早く死ぬか遅く死ぬか、他殺か自然死かの違いだけだ。

どんなに不利でも必ず抜け道というか、考え方の道は開けているはずだ。どんな状況でも5分5分は通用すると思う。(楽観・正しいか?)