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28(Thu)うしろむき・嫌な夢を見た。 / 本:トラウマセラピー・ケースブック(星和書店) ・ 道立近美に行った(マイナー展示)。

2016/07/29(Fri)


2016年7月29日(金)

「国松登」―北のファンタジー、浅川泰、北海道新聞社 ミュージアム新書[12]、1992

p23  26.眼のない魚(A) 1954年 (北海道立近代美術館

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Nuno-zoriは、あまり幅を広げられなかった。でも女先輩の作っているのを見て気づいたことがあった。




・ 端で巻きつけて幅を外側へ引っ張って出そうとしてきた。その時に、端で巻きつける時、巻きが強すぎると絞れてしまう。絞っては幅が出ない。

となると、端で巻きつける時、絞らずきつめに巻く、というイメージ。巻き込むのではなく、丸まってやるように沿ってきつめに巻くけれど幅を外側に維持しながら沿わせて巻いてやる。決して絞らない。というアイデアを思いついた。
まだ実践していない。女先輩のもすごいですよ。美術品です。きっちり揃っています。


 今日は男にエスカレーターで通せんぼされたり干渉されたけれど、作業所でnuno-zoriの終わりころ上向いた。その後の着物の糸ほどきも、終わりころ上向いた。少し我を忘れて集中していた。今日はいまいち集中できない日だった。昨日を引きずっていた。









kindleコールデコット賞の絵本を読んでいる。3冊目。1冊はホントの絵だけだった。失敗した。ストーリーもすごいけれど絵がものすごい、と思った。

・Locomotive
・Trombone Shorty

kindleになっていない本もたくさんある、みたい。


2016年7月28日(木)


「うしろむき」(よんでもおもしろくない)

 草履がうまく編めない、殺される夢も見たしきょうはだめだろうと。膨らませるところがうまくいかない。できないに固執した。タイムオーバーした。時間ちょっと前に調子が悪いからと切り上げた。

 休憩時間中ももうだめだとか、辞める方向になるかとか考えていた。ぐるぐるした。

 休憩最後のころ、辞めるにしろ最後なら最善を尽くしてからやめようと思った。最後の手段は、母に俺は男だと言うことだ(頭の中の母に対して)。このスタンスでダメなら散ってもしょうがない。

 帰りの交通機関はずっと不利だった。くびはつぶれていたろう。母に男を抑圧したなら、母で俺は男だと言ってみるしかない。今日の調子は下り坂の始まりなのかどうかわからないけれど、帰りはずっと不利だった。終わってしまった感がつきまとった。




2016/07/28(Thu)

 夢で、首を切られる嫌な感触やフリーズマシンで凍らされて死んでいく途中までを見た。
 
 事件があったことや、自分の調子が悪いためだと思う。まったく無力だった。嫌な夢だった。



追記


道近美に行ったけれど、メジャーを見ずマイナーを見てきた。自分で選んだ。どちらを選ぶかで、自分らしさを優先した。

 ブログには無制限に時間をつぎ込んでいるけれど、こういうやり方はダメだ。区切って、切り取って、限られて、見切りをつけて、囲い込んでやらないと。
 30分と決めたらそれ以上やるべきではない。そうすることで時間はできるし、だらだらしないし、そのブログが一つのツールとして限定される。

 リコーダーの演奏を先生に送ってみたけれど、リミットを明日までと決めていた。下手だけれど、下手で見切りをつけた。今の自分の実力で区切った。

 マイナーな絵を見るというように、自分も区切った方がいい。あれもこれもできそうではなく、ここで枠を決めてその中で動いていくような、英語が下手なら、うまくなろうとしてあれもこれも盛り込もうではなく、下手な英語でできる枠を嵌めてしまう。ここまでとか、ここまでやろうとか。うまくなろうと漠然と目標にあこがれるのではなく。下手だけれど、初対面の挨拶をここまで言いたいとか。初対面、2・3の言葉、下手な言い回しと、キャップ(ハンディキャップのキャップ)してしまうやり方。

 制約と制限の中でやろうとしないと、僕のようにアホになる。アホはうつるので危険だよ。みなさん気を付けてね! ばい菌の僕からより、愛を込めて。














2016年7月27日(水)

 星和書店メールマガジンを購読しているけれど、本の紹介なので損はないです。

www.seiwa-pb.co.jp


 トラウマセラピー・ケースブックが紹介されていた。僕はemdrに賭けているけれど、効果が無かったらこれを読んで別のをやればいいなと思う。



・ 道立近代美術館へ「北海道美術紀行」という、シャガールピカソなどの展示とは反対側の入り口でやっているのを見てきた。

 ピカソなどはメジャーで人だかりだったけれど、僕が見たのは、10人くらいしかあわなかった。


 谷文晁の蝦夷山水図巻一、二は、小さい長辺が横の本に水彩画で絵が描かれ、ネームバリューの人による目を奪われる筆さばきと構図で風景・海岸の絵が見られた。人なども1・5センチくらいの小ささなのに生きているようだった。風景の中に確かに人間が存在していた。岩と海の景色も構図がよいからか洗練され目を奪われる感じだった。


 中居定雄、サイロのある雪景色、1963 油彩カンヴァスは、一目見ていいと思った。




 僕にとっての今日の中での印象ベストは2点あり一つは、

国松登、眼のない魚、1954 油彩カンヴァスだった。(検索でヒットせず、写真掲載不可になった)

 これは絵の横に紙が置かれ、ワークシート みる→かんじる→あらわす というものだけれど、
 裏の説明に、この絵を描く前に水槽の眼の潰れた一匹の黒鯛を見ている。

この時の印象がのこって、何枚もこの絵のタイトルで絵を描き、戦後の時期らしいけれど、その感情を込めて(負)、

引用:

「深い海の底にいる眼のない魚なら、そんな世界も見なくてすむだろう、いやなことを声を出してさわぎたてるよりも、じっとだまっている、それも一つのすごし方だとおもった。そうした深い思いが何年もかけてこの作品になったんだ。」とありました。

この解説も読んでこの絵に惹かれました。パッと見ていいと思っていたけれどね。



 もう一つは、

http://www.nordvento.co.jp/works/works_a/pages/w013.htm


本田明二、北洋の男、1969、木彫り


 漁師のやん衆の顔らしいけれど、抽象で作られている。本田氏はシベリア抑留を経験した人とか。この素朴な感じに惹かれた。沈黙の訴え、静かなる意思と言うような感覚が込められているように感じた。意味はないけれど、裏側に首を突っ込んで見たりしてみた。裏側は裏側の作りだった(当たり前・くどいけれど書きたかった)。