nuno-zori編み 2016/07/12(Tue) \ 言い訳・逃げ(僕のこと)

 頭の整腸作用(心を整える)でしょうか。すっきりする。




2016/07/12(Tue)
 
・ nuno-zoriあまり集中できなかった。とりあえず編み終え、先輩に習いながら(前に習ったけれど忘れて何もできなかった)、紐を引き縛り、鼻緒を通すように、zori中間・芯の、zori部分・後端の紐を道具で(誰かが作った。zori部門の誰か)引っ張って先端に持ってきて、完成に近づけてきた。



 僕のは先輩の芸術品のようなものと比べると、かなり劣悪で醜いけれど、僕もここまで来ましたと言う到達点でもある。もちろん通過点にしたいとは思う。(逃げ出したい気分もある)(まだ逃げたいという、肝の座らなさがある。)



 だから集中できないのだと思う。逃げようとしている限り、僕はぷー太郎なのだろう。おならぷーぷー、ぷー太郎。先輩は布草履だけ、毎日4時間もこなしている。



 先輩のお手本の編みを、芸術品を作る手さばきを見てきた。いつも緊張させていて、力をかけて、迷いがない。正確に的確に動かしていた。あの力加減は覚えていた方がいいのだろうけれど、忘れる気がする。先輩のは見事なものです。




・ 家でリコーダーを吹いた。集中できなかった。もらった本の文部省唱歌、春の小川、茶摘を吹いていて、歌うことを思い出した。


 それから課題曲を歌うように吹こうとして、集中できた。かなりうまく吹けた。(いままでの中ではと言う意味で。この課題曲の話)


 ということは、nuno-zoriもうまくなろうと、完成させようとガチガチになるより、布を使って、描こうとした方が、指を使って編み込むことの描きを目標にできたらなあと、夢精した。(夢想した)








2016年7月11日(月)





「言い訳・逃げ(僕のこと)」


 作業所で作業していて、nuno-zoriをやってはいたけれど、集中しきっていなかった。全力を出していなかった。


 午後から着物の糸ほどきで、面倒だな、難しいな、進まないなと、言い訳しつつ、ノロノロやっていた。周りのとんがっている人たちを見て、僕は言い訳をしていることに気付いた。

そうやって言い訳して、集中せず、のらりくらり、うまくいかないと、ただやればいいことを、全力で集中して、前へ進めばいいことをせず、やってしまった。


気づいた後、最後の方は集中していた。


 あと、6年くらいで僕の旬も去って、ヨボヨボじじいになるけれど(生きていれば)、全力で生きられなければ、僕の人生は何だったんだ、言い訳するために生まれたのかとなってしまう。今まで言い訳して、逃げを作り、のらりくらりしてきた。よほど気をつけないと言い訳で終わってしまう。