カウンセリング(あまり前進なく)


2016年7月6日(水)

 今日はお休みでカウンセリングに通った。


 カウンセリングでは父とのことを取り上げてもらい、中学生ころ、友達とドラえもんの映画に行こうとし、父に風邪ひいたらどうするんだと、怒りと憎しみと暴力の混ざった言動で止められ、止む無く(やむなく)僕はいけなくなった。



 父に対して萎縮し、怒りを自分の中に見出せない、感情を抑圧した僕の子供時代を扱い、父に対して能動的になれないかEMDRをしてもらった。けれど、僕はお尻の穴が委縮し、お腹のあたりも抑圧気味で何ら進展がみられなかった。



 それで、カウンセラーの先生は、そのころの自分に対して何と言ってやりたいか、どういう言葉を今ならかけるかと、僕に問いかけた。真面目に父と向き合い過ぎで、父の言動を全部受け止めすぎだよ、からかったり、はぐらかしたり、パロディにしたり父との付き合いに戦略的に対応したらと言いたいとなった。最後は、父の唾吐きはきちがいじじいだねと言ってやりたいとなった。

ストレートにじじいとは言えないけれど、きちがいに感じられるねくらいは言ってもいいと思う。前にそのようなことを言ったら、痰が絡むんだとかいって、自分の暴力的な面にはごまかしをかけ、はぐらかされた。父はまともそうな外面だけれど、きちがいというのが正体で、暴力をふるう人と言うのが本当の姿だ。



 前進と言う前進は無理だったけれど、父との付き合いに、柔軟さを持ち込んで、僕の側が戦略的に付き合ってもいい。繰り返すけれど、僕はまともに父のコミュニケーションを引き受けすぎてきた。そんなに受け身に、全部受け取らなくていい。もっと突っぱねてもいい。