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2016/06/28(Tue) / さよなら父さん! ! !

 リコーダーのオンラインレッスンをやっていますが、今日は課題曲を録音して、先生に送ってみました。3か月ぶりくらいです。

 最初出来る人としてやろうとしていましたが、最後の土壇場で取り組む人として、音を外しても・下手でも・失敗しても 許容して自分でゆるして不完全なのを先生に送ってみました。

 できない人が取り組んでいる、と言うニュアンスでやっています。やっていこうと思います。
 ずっと取り組むチャレンジャーの立場としてやっていけたらばと思う。



2016年6月28日(火)



・ 作業所では、周りから暗に否定された。それは、誤謬(ごびゅう)として退けた。誤ったエネルギーは認めない。却下する。その人を否定しない。その意識の部分だけ誤謬として退けた。


・ ハドソンのゲームソフト、ボンバーマン、と マリオ64 Nintendo dsのソフトをやってみたいなと検索した。

・ 日曜日の図書館での読書のように、何も知らない人間がひとつひとつ覚えて、少しずつ輪郭をはっきりさせていく、というのが正しいやり方かなと思った。

 たくさん挫折してきた僕の精神状態は、いままで、一気にすごくなろう、すごい人になって鉄の武装をして、周りの人を退けるようなのを目指してきた。すごくてケチのつかないレベルの人間。

 これも間違いだろうと想像した。(今日の今ふと思ったのでワープロに打ち込んでいます。)




 勉強でも、趣味でも、自分の取り組むものは、何も知らない人間がひとつひとつ手さぐりで世界を広げていくイメージを持ってやっていくのが正しい距離の取り方かなと、ちょっと思った。まだ頭で理解している状態。






2016年6月27日(月)


 作業所で、暗い人を馬鹿にしている人がいる。暗に僕を指していると思っている。これについて。


 昨日リコーダーを吹いて、音で首を開けたり、うまく吹いてすごいと思わせたり、父を倒そうというのは間違いで、体幹の部分で父の首を開ければよく(開ける⇔   )、音では何もしないのが正しいという、昨日の結論を得た。それを全てにあてはめる。


 僕を否定しようというのは間違いだ。その人の体幹で僕の首を絞めればよく、僕をどうこうしようという操作が入るのはおかしいやり方だ。

交通機関で咳をして僕を否定しよう、殴ろうとする人もおかしく、その人の中で僕を否定してしまえばいいだけの話で、僕をどうこうしよう、お前はダメだとか押し付けたり、傷つけたり、否定を被せようとするのは間違ったやり方だと断言できる。



 でもこのやり方の総本山、僕にとっての悪の巣窟(そうくつ)は父だ。父は僕を傷つけ、否定し、操作しようとずっと僕に関わってきた。これは間違ったやり方で正しくない。父自身の中で僕を否定すればいいだけの話で、それを押し付ける父は間違いを犯している。その父を僕は認めない。



 僕は体幹で父の首を開ける、父自身をどうこうしようとしない、否定を押し付けない、評価しないは大事だ。できるか???

 ぼくの中で否定すればよく、父自身に対しては何もしない。これは正しいやり方だ。
僕は父を評価しない。



さよなら父さん。