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2016年6月12日(日)


・ 林へ歌いに行くという、こちらは完敗だった。

 父に向けて歌っていたが取っ掛かりがない。父のペニスを切断したいというコンセプトで歌って、なんとか格好がついた。それでも感情は出ないし、攻撃も前面には出ない。ただ、エネルギーの方向だけが出ていた。決まらない、キレがない、動きがなかった。



・ 靴をコンビニに取りに行って、帰って、リコーダーを吹いた。
 
・ こちらは、久しぶりなので音をかなり間違える。低い音がきちんと鳴っていない。など欠点はあった。

 この欠点について。僕は完璧にレコーディングされたプロの完成品のような音楽を目指すべきだとずっと思ってきた。けれど、ガンの本を読んだし、今日の感触は違った。


 レッド・ホット・チリ・ペッパーズみたいにライブ感のある、現在を生きる動きのある音楽・音が音楽ではないのか?

 間違っても、音が鳴っていなくてもいい。完成していなくて、綻(ほころ)びがあったとしても、ライブ感のある・今現在を掴んでいればいいのではないか。目標とするリコーダーの方向が違って見えていた。



 僕の生活にも言える。ガチガチに固まった、化石のような生活から、動きのある今現在を生き切る、エモーションにエネルギーを向けていいのではないか。がんの食事も、完成品ではなく、これと決めつけなくても、やってみるという動きのある方向が大事ではないのか。




・ 全粒粉パン、5日くらい前に焼いたの。ボソボソでおいしくなかったけれど、魚肉ソーセージ・ケチャップ・カラシ・レタス水菜で食べた。かなり地味だった。ソーセージは工場の練り製品だった。母の買ってきた似たようなパンを食べてみて、マーガリンの味がして食べやすくおいしかった。

 けれど、味に関して添加物をいろいろ加えたおいしい(食品業界が買ってもらおうとおいしさを追求し、でたらめな味を作り、消費者を躍らせ誘導しているヘンチクリンな味)ものではない、この家で焼いた、素朴な基本食はそれなりに評価していいのではないか。こちらに軸足を持ってきてもいいのではないか。こういう味をおいしいと認め、こういう味が大事だと認識し直すのもいいのではないかと考えなおした。

 本当においしい味を見失ってきたのではないのかとちょっと思った。でもこの路線の道は険しい。おいしい味の誘惑は強い。僕が何がおいしいのか見極めて舵を切らないとうまくいかないだろう。

 今日はおじさんのお菓子以外、菓子類は口にしていない。

 デタラメ食品業界とけんかするという方向に持っていけたら、この自然食路線は成功するかも。ちょっと難しさがある。魚肉ソーセージを食べている僕が言えるかな?