カウンセリング2016/05/21(Sat)


2016年5月21日(土)


 カウンセリングを受けてきました。


 安全なイメージとして、お花畑になりました。そのイメージを思い浮かべ、emdrの指を左右に動かすのを目で追い、最初に思い浮かんだのが父のことでした。それがトラウマと言うことです。


 最初先生との関係で先生の言うことが頭でやっている状態でしたが、目をつぶり先生の言葉を思い浮かべているうちに状況に入り込んでいきました。


 最初安全なお花畑のイメージでしたが、途中から、思い出せませんが、白い景色が思い浮かびました。ざわめきと白い心地というタイトルの文章をブログで書いたのでしたが、その白いというイメージです。白くて音がしなくて、全てを吸収してしまう空気感。雪の降る白。雪原の白。冷たくて、反応を吸収してしまう、シンシンと雪の降る、その白の世界に僕はいるという感じ。




 途中からどうなって父の話題になったのか忘れましたが、父のことについて話しました。父のことについて僕は能弁でした。

父のことを聞かれ、父がどんな存在か喋るように促され、父を分析しました。このカウンセリングの時の自分の状態はモノを書いている時の深い状態が、カウンセラーとの関係で作られるという感じでした。モノを自分で書いても、カウンセリングほど深くない感じで、あんなに父について分析的によく喋ったのは自分でも不思議でした。よく喋るなあと。



 父の存在は恐いのですが、父自身が、傷ついた子どもで、自分をもてあまし、周りを否定し、拒否的にしかなれない存在で、父と握手しようとしても父は握手をし返す力はないと感じました。父は周りを拒否しそのまま棺桶に入るだろうと。

その父の、空虚な存在としての父をどうやって処理したらよいのか、父子関係が病的で歪んでしまっている僕は、父との関係がないままどうするか、
お城を作って、その城をよりどころとして存在するしかないのかと、これからを思って不安になりました。父は乗り越えられる存在ではなく、父自身が病的に歪んでしまっているのでどうやって僕は父を乗り越えられるのかと。

とにかく父について僕はよく喋っていました。文章で書いても、あそこまで父について分析的によく喋ることはないと思います。催眠術にかかったようによく話した。



父イメージに対して、押し返すことも可能だった。いつも怒っている父。憎しみに拒絶する父。
その父自身が、祖父から受け入れられたのことがなかったのではないのかと思いました。父自身が病的な父子関係しか持っていないと思った。父の兄弟は皆病的な感じがする。祖父の存在が怪しい感じがする。父は伸び伸びと成長せず、祖父との関係で歪められていると思う。父自身が自分を乗り越えられなかった寂しい人間だと思った。父自身が自分を持て余していると。




 カウンセリングの最中、僕は体を歪め、胎児のように小さく背を丸め、うずくまるように話していたらしい。僕は体と自分の存在との関係に距離があり、身体感覚があまりないようだと言われた。カウンセリングが終わって、変わったことがあったら書いてきてくれと言われた。


 その状態から現実に戻る、脱感作(伸びをしたりして、現実世界に戻る)を行い、正常に戻ってTFTのタッピングをしてもらった、一緒に行った。身体の各部に、ペタペタと人差し指でさわりながらタッピングをしながら、自分に力となる言葉を唱えるやり方でした。自分には問題を解決できる力があるというようなことの言葉でした。うまく思い出せない。記憶力が低い僕には言葉を覚えられなかった。

ちょっと喋っていて、やりながら本当かなあ、恥ずかしいなあと思うような、自分に力がありますよという言葉でした。でも、初めてで面白かった。
 



 終わって交通機関を待っている間、自分の両掌を眺めた。周りに立っている人の服の色が気になり何色を着ているのかなと思った。灰色や黒っぽい人が多かった。

そして交通機関に乗って移動している間の景色が、いつも平板に見えていたのに立体感を持って眺められた。

カウンセリングはリラックスして小休止したような感じをもった。いつも僕は何かと戦っている気がする。あまり良い事と言えないけれど、それが僕の病気の部分だと思う。


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