2016年2月27日(土)
「じぶん・この不思議な存在」鷲田清一、講談社現代新書、1996
引用:鷲田清一:p151:
「~いうまでもなく、これは医療の現場だけのことではない。職場でも家庭でも、わたしたちには、じぶんがこんなに動けるのは、じつはじぶんのことを考えて積極的にじっとしているひとがそばにいるからだ、と深く思い知ることがある。たとえば子どもを家で待つ母親。彼女がこれを、自由を奪われている状態と感じるか、家庭という場所でいまは積極的にじっとしていなければならないと感じてそうしているかは、おそらくそのひとの生きかたにかかわることである。」
引用しました。
引用者:kurage0147130:
たとえばと作者は母親の話を持ち出したけれど、僕の母親も同じだ。母がいるから作業所に通えている。朝飯晩飯を母に作ってもらって余計なエネルギーをみな代わってもらっている。僕は作っていない。
そして、家に母がいるという家族の柱になっていもらっている。父も僕も母の家庭にいるという、強い安心感のもとに、外出して作業できている。これを感謝していない僕は、そうとう、ひどいかもしれない。ひどいです。
家族でゲームをして親睦を図っているけれど。
ばば抜き、ドミノゲーム、ウノ(まだ覚えきっていない。家族でプレ(前段階)の状態。)。
家族でゲームをすると穏やかな気持ちになる。いまのところ。