本:じぶん・この不思議な存在 00

2016年2月12日(金)

(日記:↓)

 唯一無二は、もてないと言っていたのに、今日はバレンタインに9個もらったことがあると言っていた。僕はもらったことはない。(義理いがいには)

 唯一無二は最高stump900枚押していた。今日は僕も同じ数押してみた。昔はやったことがあったけれど、最近では初めてのことだった。とても疲れた。これで唯一無二は1000枚押すことを目標にせざるをえなくした。(ざまあみろ!・ここは僕の強気な表現にした。)

 唯一無二が作業所で導入した、休み時間のdominoゲームを、僕もオークションで買って家族でやっている。単純なのでいいなあ。弱ってきている父も参加できるし。家族交流する機会となっている。1回に2ゲーム、15分くらいでやっている。僕のは学研の3歳児から遊べるというもの。タイルが小さいけれど安かったのでよかった。

 交通機関で、ムーミン谷の冬、というのを読んでいた。あと7ページくらいで読み終わる。ここでストップしているけれどね。冬の季節に冬の話を読むのはいいなあと思い選んだ。読んでの感想は、こういうものだったのだなあという。アニメのムーミンしか知らなかった。(とても好きだった)

 ムーミンを読むというのは、女性的だなあと思う。
昔デパートのムーミン原画展に行ったときは、女性ばかりだった。

(日記終わり:↑)








本題:「じぶん・この不思議な存在」鷲田清一講談社現代新書、1996

 これが現在交通機関で読んでいるもの。感想は、最初のつかみが簡単でバカバカしい表現だったので、図書館で借りたときは読まずに返していた。買って読んで、最初の方の簡単な内容から、自分に対して深いアプローチと、ハードルを上げていく書き方に、買ってよかったと思った。倫理の本だと思う。作者がそちらの方なのでそう書いて間違いはないはず。

 できれば最初から問題を取り上げながら自分と関連付けて問題提起する感想文方式で取り上げてみたい。






★本題:p80「ひとはいつも「だれか」になろうとするのか。」引用しました。

kurage0147130:
自我のことについて書かれていますが、何ものかになろうとする行為、リコーダーを練習する・勉強する、奏者・研究者というのを目指すというのは、社会の中でのわかりやすい肩書で、目印になっている。趣味にしても、趣味というくくりの中でのわかりやすさがある。暇つぶしでリコーダーをやっています、だらだらリコーダーを吹いていますというのは分かりづらい。

僕が目指すのは、枠の中に落とし込もうとすることで、僕の欲しいものではないのではないのか。僕に必要なのは、リコーダーで憎しみを表現したり、殺意を含ませたり、男を潜り込ませる表現だったり、僕にとっての喫緊の課題克服のためのリコーダーが必要だ、というだけの話の気がする。

うまくなれればいいのだろうけれど、それが本筋ではない。感情がストレートに出てくれば儲けものだというだけのこと。そこが僕にとっての本題。

勉強も社会的成功というより、自分の中での決着をつけるためやらざるを得ない。必要な満足のための勉強があるだけだ。そこが基本になっている。これらを実現させるために、やるべきものがある、横たわっているだけ、という話、だと思う。