リコーダー / 無料課題作文2(今週で無料分終わり)

2016/1/24(Sun)星野源 験担ぎ 銀の笛 増える ルンバ

 リコーダーの調子が落ちてから、ずっと吹いたり吹かなかったりして低迷してきた。

 昨日から復調しつつある。感触が戻ってきている。

 上向くことを希望している。まだ練習時間が短い。30分くらい。

 昨日はひどく調子が悪く、防戦してきた。
 
 作業所では、木曜日にしり取りをして楽しかった。その割に低迷している。






言葉の森:無料課題作文第2週

2016年1月23日(土)


ぼくの宝物・本



散らかった部屋に、散らかった机の上。本があちこちに積んである。僕が読むことになっている本たち。僕が呼び寄せた本が散らばって読まれることを待っている。


「本を次々買うけれど、買い過ぎじゃない? 読んでないんじゃない?」と、宅配便で送られてくる本を受け取って母は僕に言う。皮肉と嫌みの混じった言い方で言われ、僕に刺さる。まるで僕は本を買う病気のようだ、そういうニュアンスが込められている。



 老子第32章・蜂屋邦夫を読んでいて注に、名を付けるともっといい名を欲しがるようになる。次々と欲望が膨らんでいく。それを防ぐには、名の持つ限界を知って無欲な状態に止まるべきだ、みたいなことが書かれていた。



 僕が本を集めているのは、本を読みたいからというより(本はたくさん集めるが、読んでいない本が多い)、欲望としての本集めのためだ。知的好奇心が大きいからではない。それに僕には国語力がない。内容を汲み取る力も弱い。本を表面的にしか理解できない。でも本を集める。それは、子どもがあれが欲しいと、おもちゃを親にねだるのと似ている。ただ欲しがっているのだ。ただ、僕は年齢的に大人なので本を集めることができる。


 読みたいという欲求ではなく、物を欲しがる欲望としての本集め。老子の指摘のように、名がついているばっかりに、新しさ、魅力的な説明に、本があったらもっといろいろなことが分かり生活が良くなるのではないか、もっとこんな新しさがもたらされるのではないかと期待して買おうとする。

欲望としての本集めは見限るべきだと今は思う。欲望はやはり止めるべきだ。膨らませてはいけない。次々の連鎖になっていく。読む量より買う量の方が多いのが大いに問題だ。理解力、国語力も低いしね。



 老子の無欲の状態というのが手に入ればいいのだけれど、欲望を膨らませてしまった。欲望は際限がないので、みずから鎖を断ち切り、本集めを終わらせなくっちゃ。バカバカしいじゃないのよ。


 掛け声だけで終わらないのを自分に希望している。人間は死ぬまでバカは治らないかもしれない。嫌だなあ。僕は本を購入する欲望を無欲な状態に持っていきたい。手を変え、品を変える本屋さんにアマゾンに対抗するべく、「無欲」をぶち上げたいと思った。