弱いロボット (2)+自分の課題 / リコーダー練習・やわらかいタンギング

2016年1月1日(金)


 弱いロボット、岡田美智男、医学書院、2012



(引用:p110:岡田 そう。最初に繰り出す投機的な行為~さえあれば、それを受け止める行為~がおのずと出てくる。そういう感覚が持てるかどうかが大事なんです。そもそも僕らは、言い直すことを前提に発話を作り上げているんですよ。それが当たり前のはずなのに、最初からきれいな構造のものをつくり出すようなトレーニングを強制されている。ちょっと間違えると叱られるから、頭の中で一生懸命考えて、プロットをつくってからしゃべり出すようなトレーニングです。でも、そうなったら誰でもしゃべれないですよね。

「やり直しすることが前提で言葉は作り出されている」という閃きがあると、いろいろな意味で楽だと思うんですよ。コミュニケーションにしても英語学習にしても。要するに個体能力主義とかデカルト的な話だと、頭の中で一生懸命作り出すことだけが言語活動だって捉えちゃうんだけど、実は相手の表情を見ながら少しずつ言葉を使っている。僕らの体っていうのは、システム科学でいうと「オープンシステム」であって、自己完結してないんです。環境と整合させながら言葉を生み出している。~)



(引用:p112:――ああ、リハビリと同じですね。「どんな状況でもできるような能力をつけなくてはいけない」って。
岡田 個人に能力をつけてから、という考え方自体が、逆に個人の能力を伸ばすチャンスを奪っているのかもしれませんよ。)




引用者:kurage0147130:ここを読んで自分を振り返って、マインドセットの本が日本語版はスポーツとビジネスの章が省かれている。でもここも読みたい。英語で読めるか自信はない。だから絵本から積み上げて行って読もうと。この回りくどいやり方を止めて、とりあえず読めばいいじゃないかというのもありかなと。

 リコーダーの練習にしても完全を目指そうとしている。そうではなく、聞く人と共同で音楽を作るのだから、僕の側は不完全でもいいと。不完全をつぶす、消すやり方の練習ではなく、不完全を聞く人と共有するイメージをもてたらいいのかな?

 勉強も完全な人となる完成したものを作り上げるのではなく、学問をする人たちと不完全なまま共同で作っていくイメージならいいのかな? 僕は完全なイメージを持ちすぎている。周りと不完全を共有するイメージをもてたらいいのかもしれない。不完全を許容しながら周りと一緒に作っていく。

 小学生の勉強から始めて完全なものを作るイメージではなく、堀を埋めるイメージではなく、小学生の勉強から始めて、不完全さを共有するイメージ。完全を目指すのではなく、小学生のレベルという不完全な状態をとりあえず維持していこう、塗り替えるのではない、できるという目標に向かわない、できるようになるに向かわない、小学生のレベルという不完全さを受容できるかが鍵の気がする。

 リコーダーも、初心者レベルから上達に向かわないで、初心者を受容することに重きをもつ。初心者を楽しむ心の余裕があるといいのかも。英語も初心者を楽しむ余裕。下手くそを維持する心の余裕、ゆとり、積極性。僕には許容するゆとりがない。
だからたくさん本を買った。読んでいない本がたくさんある。早く、物事を知った状態に、完全に移行しようと。無知を許容するゆとり。共有できたらなおいい。無知の共有。英語べたの共有。リコーダー下手くその共有。リコーダーが下手なのを先生と共有。英語が下手なのを英語話者と共有。勉強低レベルの共有。変えようとしない。


 リコーダーは習わなくていいし下手でいい、勉強もしなくていい能力を伸ばさなくていい、英語も下手でいい上達しようとしなくていい。でも何もしないわけではない。どうやって、レベルの低いのを許容しゆとりをもてるか。
頭が悪い、リコーダー下手、英語下手と正面から正々堂々と主張することか? そのうえで取り組めばいいのか? できるようになるのではない別の取り組み方は? 
なぜ能力が低いことにゆとりをもてないのか。変えようとして先を急ぐのか。知っている人になろうとするのか。自信がないから。自信とは何か。自分を認めていない。自分に基盤を感じられない。

どうやって自信を作るか。不完全さを相手に預けることか。(弱いロボット・岡田美智男、のやり方)


☆ 他者と関わりながら習い、他者にレベルの低い自分を預けていく。習ったり、勉強すればいい。






 ここから後の文章は、時間的に上の文章よりも先に書いた。

「リコーダーの柔らかい・やわらかいタンギング

 リコーダーJPの無料講座を受けていて、先生に柔らかなタンギングというのをやった方がいいよとアドヴァイスをもらった。でも、TuにしろDuにしろ、硬く区切ってしまう。それでgoogle検索して、


本村睦幸のリコーダー日記

本村睦幸のリコーダー日記:強いタンギングと柔らかいタンギング



という記事を見つけた。強いタンギングというのは内圧が高いから、柔らかくするのは内圧を下げればいいと。みっちさんの身体全体で受け止めて吹くようにすると内圧が下がるみたいな書き込みも読んだ。

 それで僕が思ったのは、腹で息を支えて、腹からリコーダーの先までを管と考え、一本の管と思い、そうして吹くことで、口のところにかかる内圧を下げることができそうだと。

 僕はビーバーのごとく、ネズミのごとく、口に力がかかりすぎて、出っ歯君のように口にギチギチと力がかかり過ぎていた。グッグッとタンギングにものすごく力が入り過ぎていた。

 やってみて、口に力かかりすぎている。リコーダーという異物を口に咥えてタンギングまでしようとするから、口に力がかかる。声を出して歌うように吹こうとすると、口の力みが緩和される気がする。リコーダーの存在を忘れるというか。これはリコーダーを吹くという基本の問題の気がする。

 先を急いで進んできたけれど、最初のところに戻ってやり直しをかけている。うまくいかなくなったら、基本に戻れというのがあるから、従ってみた。いつでも最初に戻る気持ちはある。

 声を出して歌うように、遠くに音を届ける気持ちでリコーダーを吹いてタンギングしてみた。少し柔らかなタンギングになった気がする。



☆ そうではない。うまくいかない。楽器を吹こうとするから身体に口に力が入る。身体も楽器も忘れて音になろうとすればいい。自分が音そのものになってしまえばいい。遠くで鳴っている音になればいい。



☆ と思ったけれどそれだけではない、指使いと息のタンギングがわずかにズレていた。そのズレがキツイタンギングになっていた。