91( 身体の他人化 )

2015/08/30(Sun)

・ 作業所の前で北海道マラソンをしていた。走っている人が延々と続いて、切れ目のない行列になっていた。
僕に影響はなかったけれど、作業所に来ようとする他の人は影響を被(こおむ)った。


・ 作業所も低調で、どうなるのだと思ったけれど、帰りのもぐら交通機関で調子の悪いのがよくわかった。また、デバッグされた。それだけ僕のリーチがかからず、受けて立つのがやっとだった。小中学生にデバッグされた。小中学生と一緒なってやりあってきた。僕は小中学生だ。

それから、本の続き。

「仕事が速い人」と「仕事が遅い人」の習慣

この本を買うことで、僕は自分を塗り替えようとした。他人の考えを自分の中に塗り込めようとした。これについて、本に言及があった。



身体の他人化



・ファッションのチカラ、今井啓子、ちくまプリマ―新書、2007



p133

~少しでもモデルにくらべて太っているように見えると感じたら自分の身体を捨てて他人になろうとしているのです。~

p134

~女の子たちは、エビちゃんにしろ、押切もえにしろ、山田優にしろ、“誰”かのなかに自分を入れしまう。そこには、自分の身体という意識がまったくありません。~
~自分の身体を忘れて「他人化」するために生命の危険すらかけて努力する。~


p136


「いったい誰になりたいの? あなたはエビちゃんになりたいの?」と、私はエビちゃんファンの女の子たちに問いかけたい。「こういう人間になりたい」というものがなければ、誰かになるしかない。そして、その「誰か」になるために装いを選び、身体を選んでいく。若者たちのファッションは、こうしたおそろしい仕組みのなかで動いているのです。~


p139

~若者も十年足らずで「ファッションの対象外」にされてしまうのです。それがいやなら自らの身体を「他人化」するしかない。「若者中心主義」は正確にいうと「あるべき若者中心主義」でしかありません。つまり若者にとっても「若者中心主義」は、「他人化」という強迫観念を強いられるしかけの中で行なわれ、きわめて辛くて危険なしくみを持ったものなのです。


p146


 経済性がすべてに優先する企業は、ファッションに対してさえも、生産性や効率性の役に立つトレンド指向型の若者を優先してきました。その結果としてこれに適合しない場合は、その人が本来的に持っている“人間としての美しさ”まで否認してきたのです。

 痩せていようと太っていようと、更年期で身体の自由がきかなくんなったり、首が曲がってしまっても、病床に伏している状況であっても、人が人として生きたいと願っているなら、誰一人として“裸”では生きていられないはずです。
 人々は、それぞれが、明日に向かって、より生き生きと、力強く生活していこうとしています。そのためには毎日、身に着けるファッションをより愉しむ権利、そして、自分のライフスタイルや身体の状況に合わせて、自由にファッションを選択する権利が保障されていなければなりません。


p147

(kurage0147130):この本で、山本耀司は、どんな人でも美しく見せる技術を持ち。
 ジャンポール・ゴルチェは、高齢者をファッションショーに出して、そのほか、多様な人間をショーに上がらせた。


p147


 ニキ・ド・サンファルや、ボテロの絵や彫刻は丸々と太った人物ばかりのユーモア溢れる楽しい世界です。~



(kurage0147130): 僕は、自分を捨てて、他人の考えで自分を満たそうとした。本を買うことで。これは、やはり僕が自分というものを持たず、フラフラしていることを示しているらしい。

僕は他人の考えに自分を乗っ取らせようとした。早い人は遅い人より良いと。
遅い人、太っている人、醜い人、ダメな人(僕か?)、みな自分の生活を大事にした方がいい。
他人になるより、僕なら、作業所の生活を大事にすることだ。仕事と大きな声で言えないし、障がい者という小声の立場だけれど、これも大事にした方がいい。

 この弱者の立場を手に入れたのだから、弱者の立場でものを見、考え、感じることをないがしろにしたら僕の未来は暗くなる。すぐ辞めようとするのではなく、この生活を大事にすることができたら。



 自分を塗り固めるのは、自己否定だ。
負けで、最初から負けで、弱いという頭を柔らかくする方法を持つのだから、弱者を積極活用すべきだ。
弱者は物の見方、立場、考えが違う。弱く、負けというのを強力に自己主張できないか。
 まだ、アイデアがない。

 ゴルチエのように、多様な人間を許容する、多様な在り方を見る、多様な考えに触れる、否定してきた立場を尊重する、見ない人たちに触れる、隠された立場に立ってみる、このようなゴルチエのやり方に触発された方法を採るようにできないものか。


 自分で自分を運営していくという、強烈な立場の主張。考え、感じ、働きかけるを自分の運営でやっていくという旗幟鮮明か(きしせんめいか)?